2009年10月の記事一覧

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2009/10/05

東にて住む所は、月影の谷とぞ言ふなる……空言なり。大空言なり。江戸の辺鄙なる川辺なり。
浦近からず山もとならず、風いと静かなり。
下町のかたはらなれば長閑ならず、浪の音松の風なく衆やかまし。
都の味覚はいつしかおぼつかなきほどにしも、
カレー屋にてゆきあひたりし裏メニューのくちづけしたりし山羊の脳味噌より、
虚ろなる呻きにつけて、ありしゲップ返しと呆けて、

激辛に涙涸れへてうつ舌鼓 胃くねるひまもさぞ生くるらん

ゆくりなくあくがれ出し十六夜の脳や屠れる山羊の形見成べき

都をさ迷うことは、葉月十六日なりしかば、
いざよふ脳をおぼしめし忘れざりけるにやと、
いとやさしくあはれにて、たゞ脳味噌カレーばかりをぞ又かきこむ。

めぐりあふ脳をぞ頼むカレーなり皿にうかれし十六夜の月

……とかなんとか。
やべえ、書いていて何がなんだかさっぱりわからなくなってきた。(擬古典の文章はデタラメですよ)
要するに昨晩の十六夜の日は、パキスタン料理屋で山羊の脳味噌カレーを喰いましたよっと言う話。

団子ならぬ山羊の脳味噌を月に見立てて呑むのもありだろう……

  ……ほら、「脳」の字には月が入ってるし……(いや、やっぱりないな)

山羊の脳味噌カレー、カレーに浮く脳味噌はイメージの脳まんまだが、これが美味い。
魚の白子のような味といえばいいだろうか?
淡白な味だがねっとりとした味わい。
それにしても昨晩は本当に快晴で、月が煌々と照っておりましたよ。
天文学上は昨晩が満月だったそうな。

さて本題。
東方と関係のある話をしようと試みたんだが、二晩とも関係なく終わってしまいそうだなあ。
本当は、豊姫がなんで「扇子」なんかを持っているのかって話を十五夜にして、
十六夜は咲夜の話でもしようかと思ったんだけど叶わず。

いやなに、月の都って「扇子」が必要なほど暑い日があるのかなと思って。
というか武芸者が持つ鉄扇や忍者が座枯らしに使う扇じゃあるまいし、
扇子に郷一つ素粒子に分解するような武装を仕込んじゃダメだろとツッコみたかった。
暑い日に顔を扇いでいてうっかり作動したら、顔面とその後方数km四方が吹き飛ぶんじゃなかろうか。

せっかくパキスタン料理を食ったので、水橋パルスィの話でも。
水橋パルスィ

パールシーといえばインドに住むゾロアスター教徒。
ゾロアスター教って昔ちょっと憧れを持っていて
(火を拝むとか鳥葬とか、勝手なイメージが膨らみやすい)
大学生のときペルシャ語をかじろうと思ったのもゾロアスター教への興味からなのだが、
当時の先生に「ゾロアスター教は今のイランにはほとんど存在しない」といわれてがっかり来た覚えがある。
(調べたら、案外教徒がまだ残ってるらしい)
ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の「ツァラトゥストラ」もゾロアスターのことなんだけど、
あれは名前だけ借りただけのほぼ完全オリジナルキャラクターだから参考にはならない。
(あれをゾロアスター教徒が読んだら激怒するだろうなあ)
というわけで、イメージばっかりで全然実際のところがわからないゾロアスター教徒だが、
イラン、パキスタン、インドなどに富裕層の共同体として存在しているようだ。

さて、日本の上代にペルシャ人が日本にいたかどうかだが、
日本書紀に「吐火羅国男二人女二人舎衛国女一人被風流来于日向」とあり、
654年に吐火羅国の4人、舎衛国の1人が宮崎県に流れ着いた記録がある。
この吐火羅国や舎衛国がペルシャではないか、という説もあるようだ。
ゾロアスター教を国教としたサーサーン朝ペルシャがイスラム帝国に滅ぼされるのが651年。
最後の皇帝ヤズダギルド3世の子供は唐に亡命したようで、
他にもペルシャ人が多数難民となって海外に渡ったことは想像に難くない。
(もっと後に平家物語で語られる橋姫は西暦800年ごろの話らしいから、こことは直接交わらないけど)

多分、東方的な元ネタは宇津保物語の舞台である波斯国だろうけど、
この波斯国は現在の東南アジアあたりじゃないかといわれている。
宇津保物語を読んだ人ならわかるとおりゾロアスター教の匂いがまったくしない。

ここら辺は、紅い門番である紅美鈴と同じ洒落でつけた名前なのかもしれない。

(ちなみに、橋姫が丑の刻参りをした貴船神社は、玉依姫が黄色い船にやってきて水神を祭ったのに始まるという。
龗神とともになぜか石長姫が祭られている。
どこかで聞いたような神様が目白押しだが、
日本の神社はどこもこんなものなので元ネタ的に美味しいということはないのであった)

で、結局何が言いたかったかというと、
水橋パルスィがもしサーサーン朝ペルシャからの亡命ペルシャ人だったとすると、
故郷の羊肉や山羊肉の料理が食べたくなったりしないのだろうか、ということだ。
ケバブ(カバブ)も、サーサーン朝ペルシャで既に食べられていたそうである。
特に山羊の脳味噌カレーなんて幻想郷じゃ絶対に食べられないしろもの、
パルスィに食わせたらきっと泣き咽ぶだろうなあ……いや嫉妬に取殺されるかもしれん、
などと妄想を繰り広げるのであった。
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2009/10/11

 東方のスコアボードに来たAM氏の星蓮船Hard早苗Bのリプレイがちょっとした話題になっているようだ。
 クリア時点のスコアは2,402,751,780なんだが(約24億点)、
リプレイを見るとある時点から点数が減少しているように見える。
(以下の画像を参照のこと。画像はAM氏のリプレイのスナップショットより切り抜き)
星蓮船のバグ

 どうも東方星蓮船のスコアはint型(integerつまり整数型)のようで、
2147483647(符号付二進数32桁の最大値)を超えるとオーバーフローを起こし、表示が-2147483647になるバグようだ。
(画像の×がマイナスの符号)
スコアが減少しているように見えるが、実際は-2147483647にその後入ったスコアが加算されているというわけ。

 東方星蓮船といえば、初版(1.00a)では10億点を超えると終了するバグがあり、
これは黄昏酒場のソースをそのままコピペしたことに由来するバグだったようだ。
一方この1.00bはunsigned int型を使わなかったことに起因するバグのようで、
まあ10億超えをテストで想定してなかった神主なら今回のバグも起こるべくして起ったという気もする。
 スコアはマイナスにならないから、int型ではなくunsigned int型(4294967295が最大値)を使えばいいだけの話で、
神主はtwitterで早々に修正パッチを出すことを宣言。まもなく1.00cが登場すると思われる。
(↑追記で訂正しました。どうやら修正パッチは出ないようです)

 ……と、ここまで時事ネタを扱うブログのように書いて来たわけだが、なんというか色々と面白い事件ではある。
 バグ発見の発端が、地霊殿のリプレイで「いろいろと」話題になったAM氏だということも面白いが、
(ちなみに私は地霊殿のAM氏のプレイに不正はないと思っています)神主の反応の速さはもっと面白い。
 風神録や地霊殿であれほどのバグが出ながら一切修正パッチを出さなかった人とは同一とは思えないほどだ。

追記:(10月13日)
 上で「神主はtwitterで早々に修正パッチを出すことを宣言。まもなく1.00cが登場すると思われる。」
と書いてしまったが、発言を正しく引用すると、

>おおっと恥ずかしい。報告有難うございますー。直しておきますね

 なので、もしかしたら「東方風神録の修正パッチを近日中に出したいと思います」発言再び
「次回作では直しておきます」という意味なのかもしれません。
あるいは、直接スコアに関係しないバグなのでやっぱり放置したままになる可能性もあります。
ちょっと早とちり気味に記事を書いてしまったかも。
 ちょいと誤報気味なので、
「修正パッチを出すことを臭わせる発言。まもなく1.00cが登場するかもしれない。」に訂正いたします。
誤解を招く書き方ですみません。

訂正ついでに、蛇足をば。
風神録や地霊殿のスコアボードを見ればわかるとおり、過去の作品でも2,147,483,647という数字は
スコアボードの上位陣によって破られている。
というか、風神録や地霊殿の最高スコアはint型の最大値をちょうど超えたあたりの絶妙なスコアになっている。
(↑これも追記で訂正しました。最高スコアはもっと上でした)
これを見る限り、上海アリスとしてスコア上限を意識しなかったはずがないのだが……
(妖々夢のトップスコアは30億超えである!)
もし神主がスコアが21億5千万を超えることを予想していたとすれば、
今回のint型バグも黄昏酒場からのソースコピペに由来するものなのかもしれない。
(もしかすると、風神録で一度は消えた「残機潰しでグレイズを稼ぐ」という手法の復活の功罪が、
このバグを生んだ深層にあるような気がするのだが、例によって長文になりそうなので別に機会に語ろうかと思う。)

でもどうして黄昏酒場からコピペしたのだろう? オブジェクト弾の表示に由来するのだろうか?

追記:(10月17日)
前回の追記でさらにアホなことを書いていたことが判明。まさに蛇足とはこのこと。
「風神録や地霊殿の最高スコアはint型の最大値をちょうど超えたあたりの絶妙なスコアになっている。」
というのは地霊殿に関しては明らかな間違い、最高スコアは41億点超えでint型どころか、
unsigned int型の最大値に迫る勢いである。

ということで2009年10月17日20時現在の、東方Projectスコアボードの最高記録を並べてみる。

東方紅魔郷    634,212,920 (OOSAKA氏、Extra恋符)
東方妖々夢   3,015,121,300 (HS参謀氏、Lunatic時符)
東方永夜抄   5,816,208,390 (YASU氏、LunaticB妖夢)
東方風神録   2,172,090,120 (LYX氏、Lunatic魔理沙C)
東方地霊殿   4,156,046,670 (yukarin氏、Lunatic霊夢A)
東方星蓮船   2,402,751,780 (AM氏、Hard早苗B)
int型       2,147,483,647まで
unsigned int型  4,294,967,295まで

多分間違ってないはず……。
それにしても、ものすごい記録の数々である。

 で、今回のバグの原因の予想。
 永夜抄はunsigned int型の最大値を軽く更新しているのに表示バグはない。しかし星蓮船はバグった。
これはおそらく、今までの東方のスコア表記は下1桁がコンテニュー回数(9回を超えると9で固定表示)で、
2桁目からint型を使ってるからじゃないかと。
 妖々夢のスコアの最大表示は9,999,999,990だそうである。(妖々夢オンラインマニュアルより) 
だから永夜抄以降のスコア表示の最大も、妖々夢と同じかはあるいは21,474,836,470(214億程度)なんじゃないかな。
しかし黄昏酒場のスコアは円表示のせいか、あるいはコンテニューがないせいか、下1桁まで点数が入るのである。
これをそのまま使ったから星蓮船ではバグったんじゃないかと。
(といいつつC言語について何にもしらないので、あくまで予想です)

2009/10/11

 前回、東方星蓮船1.00bのバグについて書いたのだが、もちっとグダグダ長文を書くと、以下のような感想になる。

 今回のバグ事件は、東方のゲーム性とはまずもってスコアアタックの面白さなのだ
という神主の優先順位のつけかたが良くわかった事件と言えるかもしれない。

(以下4gamer.netの「シューティングの方法論第1回」
http://www.4gamer.net/specials/shanghai_alice/zone_k.shtml
から引用)

 ZUN:
 ゲーム性は色々なことが考えられるし,色々なことが言えるんですが,ゲーム性の原点というのは
――変かもしれないですけど――スコアだと思うんです。
何かをやった結果として,これは良かった悪かったって明示的に分からせる。
それがゲーム性なんじゃないかと。(引用終わり)

 (言うまでもなく神主がいつも強調しているように東方はゲーム性だけではないのだが、)
東方のゲーム性だけに焦点を当てるとすれば、スコアアタックのことが最優先になるということなのだろう。
風神録のレザマリバグや地霊殿のアリス装備強制終了バグは放っておいても、
スコアのバグは放置できないということである。
(もちろんこの記事を書いている時点ではまだ1.00cへの修正パッチが出ていないのでどうなるかは確定していないが)

 さてここで話題を少し転じてみよう。
東方界隈の全体のゲームへの見方を乱暴に言ってしまえば、
「ノーマルノーコンテニュークリアをすることが基準+ルナティッククリアが目標」になっているという「問題」がある。
私自身の意識としてもクリアに意識が傾いているし、
東方wikiで毎年開催される人気投票時のアンケートの集計の取り方もそうだが、
「スコアアタック」というものへの意識が東方界隈全体として決定的に欠落している、
というのは神主のアプローチと界隈の温度差が端的に表れていて面白い。

 これは上記で紹介した「シューティングの方法論」というなかで神主のいう
「シューティングとしてうちの作品を遊ぶ人と,キャラクターを重視して遊ぶ人と,
かなり前から二分化してます(シューティングほの方法論第3回より)」なんて生易しい状況ではない。
もはやシューティングとして東方を遊ぶ人が、
クリアを重視して遊ぶ大多数の人とスコアアタックを重視して遊ぶ少数の人に、かなり前から二分化している
、という状況である。
いまや、ほとんどの人にとって東方projectにおけるスコアは存在しないも同然なのである。
(プレイの中では「点アイテムの扱われ方」として表面化するわけだし、
二次創作ではPアイテムや「ピチューン」という効果音が小道具として使われることはあっても、
点アイテムが登場することはほとんどない、ということに端的に表れているのである。
……風神録の信仰点アイテムなんてさらにひどい扱いである)
 多分、稼符スレを見ている人には「何をいまさら」な話題だが、
一般東方ファンには「スコアって何?」って状況だと思うのである。

 こんなわけで、一例としてニコニコ動画あたりの「実況プレイ動画」タグ、「東方解説シリーズ」タグを見てみれば、
ほぼ「クリアが目的のプレイ」一色である。
スコアボードのリプレイを丸上げした動画がその対極にあるものの、「稼ぎ解説」だとか「稼ぎ実況」は私はほとんど見たことがない。
(星蓮船等でちらほら見るほか、ムク氏の紅魔郷X実況動画とかあたりしか記憶にない。
あるいはクリア目的でついでにスコア更新を目指す、というとん氏の動画あたりもこの範疇かもしれない)

 なぜ界隈がこんなことになったかというと、
1.まずはルナクリアまでやり、スコアアタックはその後
 という意識がある人がまあまあ存在し、
1a.ルナクリアできないうちに新作来る
1b.ルナクリアした頃に新作が出てそっちに向かう
1c.ルナクリアしたら満足してスコアアタックする気にならない
 という結果に終わる。
 さらに
2.最初からノーマルノーコンテニュークリアとエクストラクリアだけでいいや
 という根っからのクリアラーが多い。
 なんて感じなんじゃないだろうか。
 もちろん、
3.スコアボードに登録してないだけで、スコアアタックに邁進している
 という人が実はごまんといるという可能性もあるんだけど。

 私も、スコアボードに登録する気のはなっからないヘタレプレイヤーで、
上の1aだけど3になりたいと思っているんだが……

 結局、界隈の実態を正確に分析するだけの知識がないのでこんな感じの記事になってしまうのだが
(データとして、東方wikiの人気投票時のアンケートに、最高得点アンケートがあると良いと思うのは私だけだろうか?)
私の過去の経験からスコアアタックについて言うと、スコアアタックは確かに楽しい、ということである。

 とにかく、クリア目的の時とは別ゲー、といっていいほど世界が変わる。
敵の見え方、弾の捉え方、アイテムの捉え方、特に敵ボスのスペルカードへの見方180度変わる。
これは東方好きなら一度は経験していおいて損はないと思うのである。
 もう一つ美味しいのは、クリア目的でプレイすると、
美しい弾幕をボムで壊して台無しにしてしまう
ということにどんどん鈍感になっていくのだが、
スコア目的のプレイはそれをある程度修復してくれるということだ。
(この弾幕美をいかにボムで壊さずに済ますか、という問題は、
弾幕STGを遊ぶ上で実はかなり重要なことだと思うのだが、さすがにそれを書くのは場違いなので割愛する)

 ついでに、感覚的なスコアアタックの尺度として、
挑戦中の難易度の2つしたの難易度で稼ぎプレイをやってみると楽しい
と言えると思う。
 つまり、ノーマルクリアしてハードに挑戦する人はイージーのスコアアタックをやってみると楽しいんじゃないか、ってこと。
(エクストラ、ファンタズムはまた作品ごとに特殊なので割愛するが)
 スコアアタックはまずもってクリアできなければモチベーションが出ないので、
安定クリアできる難易度を選んだほうが無難である。

 例えば私の場合、東方星蓮船のEasyに関してようやく10億点稼ぐパターンを作ったところ。
いつも凡ミスばかりで失敗するのでスコアが出るかどうかは厳しいのだが……、
それでも5面で青UFOを揃えて、点がぞろぞろと吸い込まれてドカッとスコアに上乗せされるのは楽しい。
スコアボード上位を目指すというのなら話は全然別だが(スポーツで全国大会出場するという目標のようなもの)、
ともかくスコアアタックをやったことのない人は、イージーモードでのスコアアタックをおすすめする。
猛烈におすすめする。
多分、ノーマルをクリア出来る人なら、イージーの稼ぎプレイは相当楽しいはずである。
(あ、でも、下手な人のイージーの稼ぎプレイほど他人が見てつまらないものはないので、リプレイは公開しないことも合わせて薦めておきます笑)
 

2009/10/13

 なぜだ……なぜ底巻を中秋の名月の日に発売しなかったんだ一迅社……
10月3日に発売してたら全てを雨月として忘れることが出来たというのに……
 

 というわけで一迅社さん、小説版儚月抄の単行本は2010年の9月22日に発売して綺麗にけりをつけて欲しい。
それなら一年待とう。
(それにしても惜しい。賢者の罠が発動した、まさに「十五夜が満月とは限らない夜になってしまった」のが
今年の中秋だったんだけどなぁ)

 さて、いまさら儚月抄底巻である。REXで何度も読んだし、東方儚月抄のことをちゃんと語ろうと思ったら、
果てしない量の長文が続きそうなので年の暮れにでもと思っていたのである。
が、とりあえず単行本を一読しての感想を残そうと思う。
(といってもREXと比較しつつ修正箇所にツッコミを入れるだけなんだけど)

 すでにあちこちで所謂「餅スパーク」の開き直った修正っぷりにツッコミが入っているようだが、
その修正を含め様々な修正は色々と面白い。

・餅スパーク修正に関して
 要するに「商業作品である以上は、読者の批判に答えて永夜抄準拠のマスタースパークを捨てる選択をした」ということなのだろう。
 東方永夜抄をプレイした人はわかると思うが、
永夜抄で敵ボスの魔理沙が撃つマスタースパーク(ダブル、ファイナルなども)で厄介なのは極太レーザーではなく、
それに付随した(若干自機狙い混ざりの)星弾なのである。
 東方儚月抄が東方永夜抄的であるためには、ファイナルマスタースパークは極太レーザーだけではダメで、
星弾も当然なくてはならない……はずで雑誌掲載版はその点忠実(といえば忠実)なのだが、
今回の単行本であっさり変更された。
ああいう魔方陣を展開して撃つのは緋想天の「マスタースパーク」系だっけかな? 
まあ単行本でも申し訳程度に星らしきものが見えるが……

・依姫の戦闘描写の修正
 依姫が刀を振るう描写も大幅な修正を受けている。
単行本72pの上右のコマは、雑誌掲載版では刀の持ち手が逆(左手前だった)ので、
単行本で右手前に修正されるのはまあ当然なのだが、他にもあっちこっちでコマごと描き直されている。
(単行本p92の右下のコマとか)
 秋★枝氏としては、いっそのこと気に入らないコマは全部描き換えちゃえ、と思ったのだろうか。
 他にも単行本55pのレミリア突撃シーンの修正とか、秋★枝氏なりに
「かっちょええ戦闘シーン」にしようという努力は認められる。
 この経験を糧に、ロケット燃料★21でも「勇儀とパルスィが愛と激闘の末に結ばれる、
戦闘シーン満載の血湧き肉躍る百合同人」あたりをやってもらえないだろうか。


 追記:記事を書いた後に中巻(初版)を読み直したら、中巻142pでは依姫は左手前で刀を持っているのだが、
もしかすると中巻も別の版で修正される(あるいは既にされている)のだろうか?
 
・月から地球(のソマリア)が見えてるように修正(単行本32p)
 雑誌掲載版だと、月から月が見えており、すわ「また永琳の偽の月」か、と思わされた十六話の扉絵だが、
そこに映っているのはどうみてもアフリカ大陸。この修正はあれですか、
ソマリア沖に自衛隊を派遣するかしないかという時事ネタを鋭く風刺してみせた、
と前向きな評価をしろということなんですね?
月から見えたソマリア

 ……はい。グーグルアースで確認しましたが、どう見ても日本は見えません。


水平線近くに見えるので確かなことはいえないが、
この位置関係で日本から満月が見えることはありえるのだろうか??
(追記:後日ブログで書きましたが、この地球はアポロ17号のクルーが撮影したザブルーマーブルという、
 有名な写真を使ったもので特に考察に価するものではないようです)


・竹林の背景に下草が追加され、紫の土下座がさらにゴージャスに(?)なるよう修正
 なんだか、どーでもいい修正のような気もするのだが、雑誌掲載版に比べて単行本の竹林は竹の枝が追加されたり、
これでもかと下草が生えたりして、豪華絢爛になってしまった。
ついでに85pも豊姫の「くるくるくるり」のバックにも花が咲き乱れる始末。
 まあ、修正の気合の入りようにも合点が行くというもの。
なにしろこの回は、(土下座というには頭が高い気がするが、)
東方界隈に一迅の一陣の旋風を起こした、かの名高い「紫の土下座」の回なのだ。
その東方儚月抄のクライマックスがさらに盛り上がる修正になったのは間違いない。

 ……ということはまったくないのであって、むしろツッコミを入れるべきなのは、
十七話と十八話の竹林シーンを修正しておいて、十九話の竹林はまったく無修正だ
ということなのだ! おいおい、あれほどこれ見よがしに生え誇っていた下草は一体どこに消えたんだ……

 A.実は、豊姫が十八話でちょっと扇子を開いた時、
  ちょっぴり素粒子分解の風が吹いていたのだった。
  この風が時間差で十九話の時点で吹き荒れ、
  竹林の下草は全て浄化されてしまった。

 ……苦しい。むしろフェムトファイバー回への批判があまりに多かったので
「フェムトファイバーを豪華にする修正以外は意地でもやらない!」ということなのかもしれない。
 ……後半の修正作業が間に合わなかったのでは……
なにしろ第二十話に至っては単行本143pの左下のコマの「文の影の追加修正」と145pの背景へのトーン追加ぐらいしか修正ないし…

(↑追記:10月15日 ~萌畢竟~思索考究さんのサイトを参考に読み直したところ、
第二十話にも結構な数の修正がありまして、訂正いたします。
特に博麗神社の屋根の雪の修正には恥ずかしながらまったく気づきませんでした。)

・扇子とフェムトファイバーの修正
 雑誌版だと日本舞踊で使う舞扇のようだった「月の最新兵器」だが、
単行本ではちゃんと扇子っぽくなっている。
それだけでなく、「鳳凰」のような絵柄つき。この修正は神主の指示なのだろうか?
 フェムトファイバーも、縄だけじゃなく光の線のような効果が付随して、より神々しくなりました。
 まあ、白かった背景のベタ塗り修正とか、白目を黒目にする修正とか、トーン追加とか擬音の修正は沢山あるので、
フェムトファイバーもそれらしくしました、って感じなのかも。

・藍の帽子の御札の修正(最終話に集中)+図書館の本の背表紙の修正
 さて、今回の単行本で少しだけパワーアップを果たしたキャラクターがいる。
それは儚月抄でどん底の扱いを受けた八雲藍だ。
 最終話の藍を見てみよう。なんと、藍の帽子についている御札に模様が着けられているではないか! 
他にも、十八話の84p、89pあたりの藍の帽子も修正されたものである。 
(ちなみに単行本31pや36pの藍の帽子の符の模様は雑誌掲載時からあったもの)

 この修正がものすごいのは、藍の帽子が描かれたコマを全て修正するかと思いきや、
修正されているのはほんの少しだけ、しかも最終話の160p以降に集中しているということである。
 あまりに酷い扱いを受けたので、せめて単行本の最終話だけでも、ZUN帽を豪華にしてもらえたのだろう。

 良かったね藍! 
雑誌掲載時はパワー64ぐらいだったが、単行本ではパワー96ぐらいまで回復したといえるんじゃなかろうか
(それでもMAX128には程遠い)
 ……修正するなら全部修正しましょうよ……単行本67pの3コマ目を見ればわかるとおり、
この修正の適当さは明らかに意図的としかいいようがない。)
 他にも174pあたり、紅魔館の図書館に収められた蔵書の背表紙も描き込みが加えられている。

 いかがだっただろうか。ちゃんと雑誌を毎月買っていた人が一番楽しめる作りになっているあたり、
さすが一迅社、さすが東方儚月抄である。
カラー絵だって、単行本のカラー絵を雑誌版のカラー絵の手前に置いたりとサービス満点である。
(こういう手法って、この手の漫画を単行本化するときの常套手段なのだろうか? 
なぜ雑誌版でカラー絵だったページをモノクロにして、
その前にカラー絵をこれみよがしに追加するようなことをするのだろうか??)

 とまあ、雑誌版に劣らずツッコミどころ満載でした。
そういえば、気にしなかったけど上巻、中巻も修正入りまくってたんだっけ? 
昔のREXがけっこう散逸しているので比較できないが……

 実は、単行本で修正されなかった部分も結構気になるんだけどね。
それと神主のあとがきは、(界隈からの猛烈な批判をグレイズでかわすような文章だが)これはこれで別にコメントした方がいいかもしれない。
小説版儚月抄のラストをわかっていて「緊張感有りすぎたりすると疲れます」と言い放つあたりはさすがである。
 でもまあ、ぱっと見、テキストの方は変更された部分がなかったようで、内容は雑誌版と変わらないでしょう。

2009/10/15

 前回では主に修正部分についてツッコミを入れたんで、どうせなので修正されなかった部分についても。

 あ、その前に、前回色々修正箇所について書きましたが、
もっと詳しく修正箇所を上げている方が何人もいらっしゃいました。
もし修正箇所をきちんと確認したいという方がいましたら、
私のブログではなく、他の良識あるブログに行かれることをオススメします。
~萌畢竟~思索考究さんの比較一覧は目から鱗でした。
 なお前回書きませんでしたが、藍の尻尾の数とか依姫のベルトの向きとか、単純なミスは全部修正されています。 
(……藍の尻尾といえば、中巻の紅魔館パーティの時も8本だが、これもその後修正されたのだろうか??)

 さて、餅スパークが修正されたのだからきっとこれも修正されるだろう、
と予想していたのに修正されなかったので驚いた部分が幾つかあります。

・第十六話の湖の向こうの地平線(43p)
 幽々子が湖に映った満月にすたすたと歩いていくシーン、その背景にはなんと
地平線が見えている。
このコマはなんというか、シュールである。左端に山々が見えているせいで、地平線の異様さが際立つ。
しかもカメラの視点は湖面すれすれあたりに見える。もう、誰が見てもまごうことなき地平線である。
 実際、山がちな日本において地平線が見える場所なんてのは北海道ぐらいなんじゃなかろうか、と思うんだが。
この島国はちょっと移動すればすぐ山か海にぶつかってしまう。
もしかするとこのコマの構図には何か元ネタがあったりするのかしらん? 

・最終話の射命丸文の下駄
 これは雑誌掲載時から色々言われており、単行本化で修正されると思ったがされませんでした。
当時ネット上で羅列されていた修正すべきと思われた箇所が大方修正されたところを見ると、
むしろこの下駄は神主の指示通りということなんだろう。

 というわけで、私としては、幻想入りした「下駄スケート」を描いて欲しいという神主の指示が、
なぜか秋★枝さんが本当に下駄っぽく描いてしまってああなっちゃった
という解釈
(というか想像)に落ち着きました。

 wikipediaによると、『下駄スケート』は長野県下諏訪町の河西準乃助という方が明治36年(1906年)に発明したもので、
1908年には諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの大会が開催されていたそうです。
戦後の昭和30年代まで使われていたとか。
 しかも諏訪大社下社の秋宮リンクで、下駄スケートのレプリカを借りることができるのだそうだ。
諏訪湖博物館にはこの下駄スケートを履く子供の像があるらしい。
 もしかすると、
 ZUN氏が風神録の取材に諏訪大社に行く
 ↓
 諏訪湖博物館か諏訪大社で下駄スケートの存在を知る
 ↓
 儚月抄の文にも下駄スケートを履かせてしまおう
 こんな感じの着想だったのかもしれない。

 二次創作的なノリだと、長野オリンピックの盛り上がりを幻想郷で再現せんと守矢組が幻想郷にもスケートを持ち込もうとして、
強制的に下駄スケートを履かされた天狗たち大迷惑&かつて諏訪湖を沸かせた下駄スケート大復活に諏訪子ご満悦
ってな感じになるんだけど。

 話は脱線するが、守矢組はさすが信州に縁深いタケミナカタを元ネタにしているだけあって、
色々ネタが多くて楽しい。特に、幻想郷の課題(?)だった塩の問題を一発解決できるのが良い。
 興味ある方は、鹿塩塩泉 山塩 黒部銑次郎あたりでググると面白いかと思う。
伝説によればタケミナカタや弘法大師も生粋のダウザーだったらしい。
小説版儚月抄最終話で「幻想郷で岩塩が見つかった形跡はない」とあるが、
ZUN氏が鹿塩塩泉を知ってて言ってるとすれば、今後何かネタとして使われるかもしれない。

・最終回の質素な酒の肴(163p)
 これ、修正されるかもと思っていたが、修正されなかった。
 肴の内容は
  一皿目 鮎の塩焼きらしきもの×2
  二皿目 田楽×2+串焼き×3
  三皿目 筍と椎茸それぞれ×3
  四皿目 蒟蒻の刺身(?)×9
  五皿目 蓮根×4、竹輪(?)×5
 こんな感じである。
 なお、妖夢ファンの方は、永夜抄冥界組EDで漬けたはずの香の物はどうした、と訝しがるかもしれないが、
非想天則の会話で白玉楼ではうまく漬からないことが判明している。

 この肴、質素だと思う。そして体が温まらないと思う。というか分量が明らかに少ない。
穢れ多き地上に住むなら、もっと美味そうなもん食べようぜ、と思うのである。
確かに電気のない幻想郷では、鮎や筍、椎茸といった保存食が重要であろう。
でも、これは勝利の宴ですよ? 
上巻70pを見れば、白玉楼の台所ではこのくらいが精いっぱいのもてなし、という感じもするが、
こういうときこそ漫画の表現という奴で美味そうなに見えるものを描こうよ、と思ってしまうのである。
(←追記:2009年10月15日 幻想郷でしか味わえない美味、というと香霖堂のトキ鍋が思い浮かぶのである。
どうせ法なんて関係ないんだし、ツグミとか出せばよかったんではなかろうか。あれ冬鳥だし)

 この儚月抄という作品、漫画も小説もわりとものを喰うシーンが多い。
ただ、同じく喰うシーンの多い三月精に比べて、儚月抄の食事シーンはぱっとしないのである。
漫画全体としては儚月抄の方が好きなのだが、儚月抄のキャラは食事を美味そうに食わない。
豊姫ですら、桃を美味そうに食えないのである。
 漫画でもアニメでも食事シーンを作家の技量のものさしにする見方が、あると思う。
この点、私は秋★枝氏の絵が好きとはいえ、食に対しては物足りないのである。
これはさらに飲酒シーンにも当てはまる。

・プールのシーンで妖夢と藍がいないこと、及び最終ページがほぼ無修正
 食事シーンのもの足りなさは、
漫画版儚月抄を読む限り、月から盗んだ酒がどれほど美味しいのか、読者には伝わらない
ということに最終的につながったんじゃないか。
 私なんか小説版最終話を何度となく読み返しているせいもあり、補正がかかってしまっているのだが、
漫画版しか読まない方には月の古酒を飲んだ地上のメンバーの、
あまりのリアクションの薄さにむしろびっくりなんではなかろうか。
 でもって、最終話のプールサイドでは酒を飲み交わすシーンが最後の最後までないのである。

 逆に、「ぎゃふん」という綿月姉妹のリアクションは、実に漫画的で清々しい。
 メタ的には、月の古酒を霊夢たちが飲まないで漫画が終わってしまい「あれっ?」と思うところを、
すかさず綿月姉妹が落語的なオチをつけて強引に乗り切った、という感じなのであり、
これはこれでメタ的な古典臭さを持ち出してきた面白いオチなのである。
 が、この綿月姉妹の過剰なリアクションが、内容的には大問題。
 というのは、この「月の超々古酒」、実はそんな大層なものではないからである。
 小説版第六話で豊姫はこう言っている

  「(前略)私は退屈してきたわ。何かお酒でも持ってくれば良かったわ、
うちで漬けてある千年物のお酒が……」
(キャラメル6号71p)

 要するに、幽々子が苦労して盗んだ酒とは、
一歩間違えば豊姫が紫を幻想郷の竹林で待つ間に退屈しのぎに飲まれてしまうような、
その程度の携帯用の酒だったのである。
 しかも豊姫は、綿月家の者が宴会のために取っておいた庭の桃を、勝手にもいで食いまくるような女の子である。
綿月家から古酒がなくなったら、多分依姫はまっさきに豊姫を疑うんではなかろうか。
落語的なオチにケチをつけるのは野暮だが、漫画の最終話の最後のコマの強引な感じは、
なんだか
「予定していたAルートEDにたどりつけなかったんで、別に用意したBルートED(落語的オチ)になっちゃいました」
という感じがしてしょうがないのである。

 兎にも角にも、最終話の盛り上がらなさは異様である。
で、白玉楼の食事シーンが美味そうじゃないとか、プールで泳いでいるビート板魔理沙が見切れているとか色々あるけど、
最大の理由は一にも二にも肝腎の月の古酒がちゃんと飲まれてないからだ、という結論なのである。
そして、月の古酒へと至る盛り上げも皆無だった。
もし豊姫か依姫が「わが綿月家秘蔵の酒を飲めば、月の高貴さが少しは理解できるものを……ふふん」
なんて台詞をあらかじめ言ってあれば話は別なんだけどねえ。
 
 というわけで最終話は(絵的にはあまり)修正されなかったのだが、
でもって小説版で登場する妖夢と藍も追加されずに終わったのだが、
終わりよければ全てよし、というように餅スパークの修正なんかどうでもいいから、
最終話をもっと修正すべきだったんじゃなかろうか? 
古酒の入った青磁の壷を開けたら、芳醇な香りが部屋にもわっと充満するとか、
なんかそういう描写が欲しかったのである。
(わりと餅スパークについては雑誌掲載版でも許容できてしまう人間なもので)

 と、安酒を呑んでグダグダ書いていたら、またこんな穢れきった長文になってしまった。
ちょっと儚月抄にグレイズすると、すぐにこんな文章になるのでやはり自重するべきだと思うのであった。

 あ、でも最後に。
 ZUN氏のあとがきの「でも、訳判らない人達がいつも通り適当に行動するところは、」というくだり、
どう読んでも「計画的に変なことをすれば『訳判らない人達がいつも通りに適当に行動』しているように見えますね」
と言って置きたかったようにしか読めないのである。
 この訳判らない人というのは(意図したかどうかは別として結果的に)
例えばのことでもあるし、例えばZUN氏本人のことでもある。
 
 つまり、
訳判らない作者がいつも通りに適当に作ったように見せかけて、
実は計画的に凄い作品にしようと企んでみたんですよ

ということであるし、かなりの部分、
でもゲームと違ってうまく行きませんでした
ということである。
 そう、儚月抄でのテーマの一つは、
訳判らない適当な行動と合目的的で計画的な行動とは表裏一体だ、
ということなのだ。

 この儚月抄という作品、読者から見た場合に体裁としてレミリア以外はみな展望を持って
(中心的なキャラは真に計画的に)行動している。
魔理沙だろうと妖夢だろうとパチュリーだろうとレイセンだろうと。
だから、例えば花映塚のようなストーリーだけ見ると適当に見える作品とは違って、
儚月抄はストーリー上の展開がマジメである。
船がどう飛んで魔界に行ったのかわからない星蓮船あたりと違って、
儚月抄は舞台の設定もタイムテーブルも、大に大がつくマジメさである。
 ここら辺、作者ZUNは「回りくどいことが正しいと勘違いした」面があったのだ、
という結果をもたらしたと言えるかもしれない。
だから、もし儚月抄がレミリアに救われた、という意味なら「いかにも東方らしい」といえるだろう。
もしレミリアがプールという名の海を紅魔館に持ち込まなかったら、
もっと寒々しくドス黒い最終話になっていただろう。

 なお、背表紙の疲れ果てたレミリア、パチュリーと喜ぶ咲夜が、
それぞれZUN氏、秋★枝氏、一迅社に見えてしまうのは、さすがに儚月抄を読みすぎた心の病かもしれない。

追記:2009年10月15日22時
 帰ってきたらカウンターが300近く回っててびっくりしました。
昨日までアクセス数が計50ぐらいだったのに。 
誤字脱字だらけのブログに……というか読み直したらマジで誤字脱字が多い。修復します。

 色々と辿ってみますと、 無限旋律さんにご紹介いただいてしまったようです。
wikiの幻想郷年表を含め、私が儚月抄を読むにあたっていつも参考にしている方なので、誠に恐縮です。

追記:2009年10月16日00:43
 目についた誤字脱字文法的誤り他を修正しました。
大量の誤字脱字を見るにつけ、よくもまあ、こんな人間が他人の修正にツッコミを入れられるものである、
と我ながら自分の厚顔無恥っぷりに呆れます。

 儚月抄の恐ろしさは、底巻を何度も何度も読むうちに、
あのあとがきすら難題に感じられてきてしょうがないところ。

問題 
ZUN氏は底巻あとがきで「訳判らない人達がいつも通り適当に行動するところは、
いかにも東方らしくなったかなと思っています。(※強調は引用者)」
と書いていますが、
この「訳判らない人達」とは具体的にどんな人達を指していると思われますか。下から選択しなさい。

 ア.紫、永琳、レミリア、幽々子、霊夢、綿月姉妹ほか作品中に登場したキャラクター

 イ.ZUN、秋★枝、一迅社ほか儚月抄を作り上げた作家や出版社の人々

 ウ.東方ファン 特に熱狂的な(ルナティックな)儚月抄ファン

 この儚月抄、ZUN氏の趣味も手伝ってternary(3組)な要素が多い。
その3つの要素が交差する場所が第二次月面戦争の戦場だったはずである。
「紅魔郷組のプロジェクトスミヨシ、妖々夢組の二重囮作戦、永夜抄組+綿月姉妹の月防衛作戦」
の交差っぷりに注目すれば、答えは当然アである。

 「REX、キャラ☆メル、ぱれっと」の三誌同時連載の交錯、あるいはREX版を作ってきた
「ZUN氏、秋★枝氏、一迅社」の間のなんともいえない雰囲気に注目すれば、答えはイである。

 しかし、「擁護と非難と揶揄、に役割分担をしつつ、
永遠に涸れない酒の泉を貪る如く儚月抄を語り続ける、私を含む儚月抄ファン」
に注目すれば、あのあとがきは作者がウ.を匂わせているとも読める。
 実際、儚月抄は東方を巡るファン同士、あるいはファンと作者の戦争の話でもあった
。擁護に回っても非難に回っても揶揄に回っても、儚月抄は面白おかしく楽しめる作品だったのである。
そこら辺、幻想郷以上に東方界隈は平和であった。

 あの人なら、ア(作品論)を囮と見せかけて、さらにZUN氏自らが囮(イの作家論)になる二重囮作戦……
でも、本当はウ.の受容の在り方を問題にした読者批判なんて考えていそうなのである。
紫ばりににやりと笑って。

 このア.イ.ウをうまく交差させて色々考えれば、もう少し儚月抄は楽しめるんじゃないか、などと思ったりするのである。
 というわけで、心の病が再発したのでしばらく儚月抄については封印します(笑)

2009/10/20

 アキバからちょっと歩いたところにあるおでん屋に入ったら、
「百年の孤独」ってな焼酎があったので呑んだら美味かった。

 帰ってみてネットで調べたら焼酎ブームの火付け役だそう。
 焼酎は詳しくないんで名前で選ぶというのが良かったのか。

 「百年の孤独」という焼酎の名は、ガルシア・マルケスがノーベル文学賞を取った小説の題らしい。
しかし南米文学というとプイグの「蜘蛛女のキス」とかオネッティの「井戸」とかしか読んだことがなくて、
おでん屋で「百年の孤独」という名を見つけたとき想起したのは、
むしろ谷川俊太郎氏の詩「二十億光年の孤独」である。
(火星人が「或はネリリし キルルし ハララしているか」というフレーズで有名で、
おまけに木下牧子氏の合唱曲でも知られるアレである。もしかすると日本で今一番有名な戦後詩かも)
 さて谷川氏の詩では
「(火星人は)ときどき地球に仲間を欲しがつたりする それはまつたくたしかなことだ」
とある。
そこで今回問題になるのは、
地球に仲間を欲しがったりしない月人を巡る東方儚月抄の第十六話で本当は地球がどう見えるかという話。
(我ながら情けなくなるほど無駄な前振りである)

 今回単行本で、第十六話に描かれた月が地球に修正されていたことは前に書いた。
その修正がなんともはや凄まじいもので、ソマリアの角が見えているという。
これが成立するためには、解決策は一つしかない。
 幻想郷がアフリカにあればいいのである。
 単行本の見え方だと、幻想郷がセネガルかシエラレオネあたりにあれば、ちょうど十六話のようになるはず。
 まさかの幻想郷アフリカ説。

 ま~数々の設定を上書きしてきた儚月抄とはいえ、さすがに幻想郷が日本にある設定は変えていないだろう。
とすると実際には単行本でどう修正すればよかったのか。
今回の記事は、突っ込みから一歩進んで調べてみたい。
(でも既に誰かがやっていそうなネタではある。被ってたらすみません)
あの時、幻想郷からは月がどう見え、晴れの海から地球がどう見えたのだろうか。

 まず基本データとして、東方wikiの幻想郷年表を参考に、漫画版十六話を2007年11月24日(旧暦10月15日)とする。
 小説版では八雲藍が「日が完全に落ちましたね」「まだ宵の口」と言っていることから、18 時に設定。
なんで18時かというと、気象庁の用語の使い方として宵の口は18時~21時に定義されているらしいのである。
ところが、後述するようにこの日の日没は16:35、
おまけに山がちの幻想郷(地平線も見えるようだが)だともっと早く暮れるはずなので、
「宵の口」としてもっとも早い18時にしないと「日が完全に落ち」るどころかとっぷり暮れてしまうからである。
(山がある場合の日出没時間がわかる実日出没時刻表というのがあるらしいが流石にこれは無料で手に入らない)

 さて、幻想郷と晴れの海の位置だが、幻想郷は日本のどこかの山奥らしい。
 ニコニコ動画のインタビューではZUN氏の生まれは白馬らしいので、
  北緯36°41′43″≒36.68452°
  東経137°51′55″≒137.85153°
 長野県白馬村(の村役場あたり)を仮想幻想郷とした。
 (仮想は幻想の下位らしいのでこんな仮定で許してください)
 なお、あの日の気象情報によると
24日、25日とも高気圧が列島を覆っており、長野県も晴天だった。
ただ25日の最低気温が-1℃とかなり寒い日だったようだ。

 次に晴れの海(Sea of Serenity)の位置だが、Wikipediaの記事を参照に
 晴れの海のど真ん中
  月面緯度 北緯 28°
  月面経度 東経 17°30′
 にした。

 さて、2007年11月24日、25日の仮想幻想郷から見たときの太陽と月のデータだが、以下のような感じになる。
計算には海上保安庁のサイト内にある日月出没計算サービスを使った。
 当日の天文イベントは以下の順で発生したはずである。
 2007年11月24日 月の出15:53 日の入り16:35 月の南中23:31 月齢13.7
 2007年11月25日 日の出06:35 月の入り07:17
こんな感じである。

 ここで、Celestiaという天文フリーソフトを使ってみよう。
このCelestiaというソフト、天の川銀河内の探索なら充分楽しめる、なかなか面白いソフトである。
(さすがに20億光年(約613.5Mpc)も離れるとデータがなくて真っ暗になってしまい、本当に孤独になるのだが)
 もっとも今回調べるのは銀河どころか恒星系内の話でもなく、我らが地球とその衛星の話なんでこのソフトの性能を使いきれているかどうかは微妙。
(なんでGoogle Earthの月面マップを使わないかは後述)

 まずは、2007年11月24日18時に仮想幻想郷 北緯36°41′43″ 東経137°51′55″から月がどう見えるか。
2007年11月24日18時の地球から見た月
 画像が暗くて申し訳ないが、このようにちょうど牡牛座の真上に月が見えたはずである。
なお月を横切るような線は月の公転軌道(白道)。

 さてお待ちかね、同じく2007年11月24日18時に月の晴れの海 北緯 28°東経 17°30′から地球がどう見えるか。
晴れの海から見た地球1
 おそらく晴れの海の海上を飛行中の紫と藍には空がこんな感じに見えたはずである。
地球は右の天秤座の両天秤に抱かれ、その左に蠍座が見える。左上に太陽が見えるが、
地球がこの太陽の真下を通る時が、ほぼ地球から見た満月の時間となる。
小学校の理科の時間を思い出せばなんとなく想像つくように、地球はかなり暗い。

 どういう風に地球が見えるかはっきりしないので、地球に接近してみるとこうなる。
晴れの海から見た地球2
 ……太平洋が見えますな。日本は左斜め上の地平線近くに光の塊となって見える。

 暗くてわからないので、Google Earthで2007年11月24日を指定したショットがこちら。
晴れの海から見た地球3
 東方儚月抄十六話の地球は、こんな風に修正されればベストだったのではないか。

 なお最後に、Google Earthといえば我らがかぐや姫が月に凱旋した時の映像が残っていることで有名。
……はい、月周回衛星かぐやのことですね。(
というか「かぐや」も「嫦娥」も月に突撃したんだが、そのネタはどうなった?)

 上記でGoogle Earthの画像を使わなかったのは、
かぐやが月に激突する直前の断末魔の映像が、
ちょうど晴れの海を通る線で残っているため、Google Earthで映そうとすると月が美しく映らないのである。
で上の方ではCelestiaの画像を使ったのだが、せっかくだから「かぐやの最期の断末魔つき画像」も。
(いちおう画像の帰属表示のためのロゴつき)
かぐやの遺産
 (嘘ナレーション)革命軍を率いた蓬莱山輝夜と八意永琳は月に猛攻撃を加えたのち壮絶に散っていったという。
東方儚月抄の幻のED画像である。

 輝夜も嫦娥も不老不死なんだし、派手に月面で爆散する話にしても良かった気がする。

2009/10/24

ふらっと上野へ『皇室の名宝展』見に行きました。
あ~なんか、2時間粘って流れ星が一つも見えなかったオリオン座流星群とか、Windows7発売のお祭り騒ぎとか、
東方儚月抄だとか、何もかもどうでも良くなるぐらい
ものすごく素晴らしい展示会だった。

うっかりこの記事を踏んだ人で東京近辺に住んでいる人は、このブログの記事なんて読まなくていいので、
是非皇室の名宝展見に行くことをすすめます。
行くなら、金曜の夜、6時以降が空いているのでオススメ。閉館は8時だけど、
なんだかんだいって8時10分ぐらいまでOK。後半の作品はほとんど独占して見れます。
逆に土日の午前は地獄だと思います。

さて、上野国立博物館の特別展でこんなに感動したのは、
『国宝 薬師寺展』以来、いや『書の至宝』展以来のことかもしれない。
でも、感動したのは、目玉とされている狩野永徳と狩野常信がすごかったからでも伊藤若冲がすごかったからでもなかったと思う。

もちろん、狩野永徳と狩野常信の獅子には圧倒されましたよ。10分ぐらいじっと見てましたから。
「実物大」の獅子、とくに永徳のそれはものすごい迫力で、
手前の獅子の前足が枠から出ようとしかかる様はまさに桃山の精神を具現化していた。
伊藤若冲に至っては、まじで眩暈がした。ほんとクラクラするよう絵が、これでもかっていうくらい並んでいた。
もし金曜の夜じゃなく朝10時に行ってたら、若冲だけで2時間ぐらい見ても飽きなかったと思う。
この展示会の料金は1300円だが、1万円払ってもあの若冲の絵は見に行く価値があると思う。
(雪舟とかと違って、若冲の絵って、その凄さがわかりやすいので万人向きである。誰にでもわかる凄さ、
これはやはりそれだけで素晴らしいと思う。
あれを見ると、まだまだデジタル絵画はアナログに勝てないなと思う)

でも、それよりもなによりも強く感じたのは、その絵の発色の良さ、である。
これにはびっくりした。その保存状態の良さ、その修復の見事さ、
そして目に触れずに保管されてきた時間の長さ……、
作品に注ぎ込まれた、金と時間と人間のことがいやおうなしに思い浮かんだ。
(これらは全て昭和天皇が崩御するまで『御物』だったものである)
若冲の動植綵絵なんか、昨日描かれたんじゃないかってくらい、素晴らしい色彩である。
画集の絵と本物の絵が、全然別物という経験をしたことはよくあるが、
今夜経験したそれは魂消たというべき感動だった。

だが、これと同等かそれ以上に感動したのが後半の主に明治・大正期の作品である。
帝室技芸員に選ばれた今で言う人間国宝級の人々が、明治天皇の銀婚式など皇室の祝い事に献上したり、
皇族からの直接の依頼で作った品がずらり並んでいるのは、まさに近代日本工芸のピークが味わえるといっていいと思う。
いや、もっといえば、芸術家が臣民として帝国と一体となった至福の瞬間がそこにあるのだ。
特に荒木寛畝の孔雀之図と並河靖之の七宝四季花鳥図花瓶、川島甚兵衛の春郊鷹狩・秋庭観楓図壁掛などは、
これが出来上がったときの作者の自信、そしてこれを見た天皇の感動すら目に浮かぶような、
とんでもなく素晴らしい出来映えである。川島甚兵衛なんか、作品を見ただけで狂気が見える。
前半の若冲や応挙は、別に皇室と帝国のために作品を作ったわけじゃないのである。
しかし後半の作者達は、皇室ひいては帝国のために作品を作って献上したわけで、
その非の打ち所のない完璧さ、というものを支えた近代初期の日本芸術界の精神的な風土が見えるのである。
(そりゃね、東山魁夷や平山郁夫も悪いとはいいませんけど、彼らは戦後の自由を知っているが故に、
最初から非の打ち所のない完璧さは持とうとしていないと思う)

いや、してやられた、という感もあるんだ。
あの帝国』および『現皇室』の威信と正統性を見せ付けるための、
圧倒的な文化的力というものがそこにあった。

ここで少し論は飛躍するんだが、私は、近代化における日本文化の破壊に一番手を貸したのは明治天皇だと思っている。
東京奠都で京の公家文化を壊滅に追いやり、神仏判然令と神社合祀政策で伝統宗教の思想的基盤をことごとく破壊しつくし、
自ら積極的に洋食・洋服・洋式建築を薦めて衣食住の伝統に回復不可能なダメージを負わせた。
(他にも例えばお歯黒禁止令とか、混浴禁止令とかね)
この明治期の伝統破壊に比べれば、戦後のアメリカ化なんて取るに足らないこと。
戦前のヨーロッパ崇拝が戦後のアメリカ崇拝に変わっただけである。

で、明治期の文化破壊が良いか悪いかという価値判断はおいとくとしても
(未だに既婚女性がお歯黒を塗っていたり、四足動物の肉が食えなかったり、
というのは近代的価値とは相容れないかもしれない。特に諸外国からの攻撃材料にはなっただろう)、
その後の皇族がずっと洋風主義で、戦中は大日本帝国国民服令で帝国臣民がまともに服を着れない中で皇族だけは洋服を着続けた、
とか今でも宮中晩餐会はフランス料理だ、とか(ほんとなんでフランス料理なんだよ!)
そういう風土を作ったのは、まごうことなく明治天皇である。
そう。近代における、日本の伝統破壊の立役者は、薩長土肥の連中でもGHQでもないのである。
明治政府の首脳陣が近代化政策を取るのは当たり前である。
江戸幕府の重鎮(榎本武揚だとか小栗上野介だとか)ですらそうだったのだ。
問題なのは、京で公家文化の中で育ち、近代政府の伝統破壊に待ったをかけられる唯一の存在である明治天皇が、
京を捨てて、いや京を殺し、江戸城に住むことを選んだ、ということなのだ。
それが、現在の日本の文化的状況に決定的な役割を果たしたと思う。

京都の日本の伝統が残る町というイメージと実際のギャップがかなり大きくて、
そうだ京都行こう、と思って行ってみればコンクリとアスファルトとガラスだらけの町だった、
ということになってしまったのも(これは観光客としての私のかなり勝手な考えかもしれない)、
東京がひたすら無秩序に膨れ上がる町で景観というものがほとんど存在しない町なのも
(これも東京に住む住民としての私の勝手な考えかもしれない)、
私の考えでは天皇がいまだに京ではなく江戸城に住んでいるからである。

天皇家の文化的背景というのは、まずもって京であり、奈良や伊勢の近畿地方にあるのだ。
関東地方に来ることによって、天皇は文化的な根無し草になったのである。
江戸庶民とも、地方から上京してきて首都圏に住んだ膨大な数の都民とも、
天皇家は文化的つながりをほとんど持っていない。
そもそも天皇家の神話的背景を、関東という土地は共有していない。
せいぜいヤマトタケルが関東に侵略して来たという話で、
基本的に古事記や日本書紀は関東とは無縁の神話なのである。
そしてもちろん関東には伊勢も吉野も叡山もない。
それでも戦前は宮城礼拝という人工的な方向性が与えられていたが、戦後の『皇居』というやつは、
まさしく首都東京の巨大な文化的空白であるといえる。
そして東京とは文化的中心がすっぽりと欠けているからこそ、これほどまでに無秩序に発展したのだ、ともいえる。
この東京のカオスさこそが東京の魅力だとすれば、皇居という装置はとんでもなく成功を収めたといえるかもしれない。
その裏で京都が100年以上に渡って犠牲になり続けて来たと思うが。
(なんで日本に海外から観光客が来ないかといえば、1200年も都だった京都があの程度で、
400年も日本の中心だった江戸=東京がこの程度の町並みしか見せられないからだと思う。
コンクリ・アスファルト・ガラス、ジーンズ・スーツ、そしてありとあらゆる国の料理……)

で、もう一度皇室の名宝展である。明治・大正期に献上された品々の素晴らしさは、
京ではなく東京でもこれだけの文化的作品が集められる、ということを誇示しているように思える。
あれらの作品は、とくに近代のそれは、やっぱり凄いとしかいいようがないレベルだった。
帝国と皇室への忠誠と芸術家のプライドの結晶であった。
残念なのは、それが日本の文化的方向性とはほとんど無縁に終わったということだ。
作品から滲み出る作家達と帝国の間の一体感が見えるからこそ、なおさら残念に感じる。
現在、東京にはあらゆる領域に渡って数多くの芸術家・アーティストが住んでいるだろう。
そのうち、一体どれだけの人が、「東京の中心に天皇が住んでいること」を意識しており、
「自らの芸術性がその天皇とつながっている」と感じているであろうか? 
別に象徴天皇制だとか立憲君主制だとかの是非を問いたいのではない。
日本国民が漠然と感じており、皇室も宮内庁もそれを信じて疑っていないであろう、天
皇の日本文化に対する役割というものが、実はほとんど失われているんじゃないか、
そしてそれは近代思想の破壊性というよりも、江戸=東京という土地の問題なのではないか、と思うからである。
(東京に住んでいて源氏物語のシーンを描こうと思ったってさ、東京湾を見て須磨と思うわけにはいかないと思うのだ)

皇室の名宝展を見て思ったのは、そろそろ天皇家は京に戻ったほうがいいんではないか、ということである。
(微妙に秘封倶楽部のネタともつながったりするが)
ついでに旧華族とか旧宮家とか学習院とか全部京に持っていったらどうか。
現皇室の継承問題だとかなんだとか、案外、土地柄が解決してくれるかもしれないのである。
東京は(天皇が帰ったら名称は江戸に戻るのだろうか)、天皇がいなくても、文化的な損失はほとんどないだろう。

別に私は尊王派ではなく、近代の天皇家に敬愛の念は持ってないのであるが
(ちなみに東京をぶらぶらしていたり、クラシック音楽の演奏会に行ったりすると、よく皇族を見かける。
演奏会で一緒になったのは今上天皇1回、皇后2回。
皇太子夫妻と愛子ちゃんは東京駅で数メートル先に見たことがある。
その警護の警官の数がやたら印象に残っているが)、
乱立する高層ビルの檻に閉じ込められるようになぜか江戸のど真ん中に天皇が住んでおり、
しかもあのブランドが飼い殺し状態にあるというのは、あまりにも惜しい。

ああでも上野公園の集約性と国立博物館の機能は京都に持っていかないで欲しい(笑)


……しまった、東方とまったく関係ない話で終わりそうだ。
このブログでは東方の話題縛りにしているつもりだったのに……とりあえず卯酉東海道のような将来はありだということです。
それにしても、東方儚月抄底巻を読む前に行かなくて良かった。もし行ってたら儚月抄のことなんて本当にどうでもよくなっていたと思う。
あ、そうだ、秋★枝氏に伊藤若冲くらいの画力があれば良かったのにという結論にしておこう。
東方ネタのブログっぽいオチになった。
(心理描写の問題だとか漫画はモノクロだとか言う以前に、漫画は絵が上手ければどうとでもなると思うのよ。
どんなにストーリーがダメでもさ)

2009/10/26

セレーネ計画の月周回衛星かぐや 
その名前を冠する計画は 
月の都にとって
恐怖であるに 
違いなかった


永琳「ついに日本政府が動き始めた 予定より遅かったけど誤差の範囲だわ」
JAXA「私たちの宇宙計画はかぐやを名乗れば必ず成功する!」

東方ファン(のごくごく一部)の間では、月周回衛星かぐやが発見した月面上の謎の縦穴の話題で
もちきりのようである。(毎日新聞の記事 )
どうやら「かぐや」によって月の都への秘密通路が暴露されてしまったらしい。
さすがは永琳である。紫に騙されたふりをして日本政府に月を攻略させる、三重囮作戦! 
八意永琳の逆襲成る。
いまごろ月では日本政府の特殊部隊と、綿月姉妹やレイセンなど月人が激しい戦闘を繰り広げていることだろう。
なにしろ衛星の名前が「かぐや」なのだから、言い逃れができない。
綿月姉妹は「八意様に裏切られた」と大ショックだろう。もう立ち直れないかもしれない。

ま、東方脳的な妄想はさておくとしても、「かぐや」が見つけた月の縦穴は月面基地建設の有力候補になるそうだ。
逆に考えれば、予想以上に活躍したかぐやの成果を後付利用して、蓬莱山輝夜が月に帰れる大義名分に出来るかもしれない。
「かぐやの探索が成功したのは月の都と幻想郷の交流が成ったから」とかなんとか
。二次創作的には、活躍しまくった「衛星かぐや」が絡むのは面白いかもしれない。


さて、今回の記事は儚月抄の話ではなく
(儚月抄の話題は封印しようと思っているんだが、なぜかそういう話になってしまう)風神録の話である。

今日2009年10月26日は旧暦九月九日、つまり重陽、菊の節句。

ブログを始めた日(2009年9月7日)に、「菊の節句もすぐそこに迫っている時期」なんて書いたけど、
どうせだから旧暦で楽しもうと。で、目下現在、どぶろくに食用菊を浮かべて酒を飲んでいるのである。
……と書くと雅な感じを想像されるかもしれないが、
この食用菊が予想以上にでかくてカクテルグラスからあふれ出し、猛烈に飲みにくいのである。
(阿房宮という菊の品種らしい。これしか売ってなかったのである。
スーパーも重陽に合わせて菊を売ろうとしないほど、菊の節句は日本では廃れている……)

風神録、東方wikiを見ると、儚月抄との絡みで2007年9月ごろと推定されているようだ。
これが何日か考えてみようというのが本論である。
一つは、25日が中秋の名月の夜なのでその後の「実際の満月の日」つまり2007年9月27日という考えがある。
風神録の6面では、皓々と照る満月が湖上に見えていた。
(あんな満月の下で戦ったら、諏訪の注連縄の封印から土着神が脱走したと、
綿月姉妹がすぐさま幻想郷に飛んでくるんじゃなかろうか?)
ただ、9月27日という日は、紅葉の散るには少し早すぎる気がするのだ。
風神録はもう全編に渡って紅葉がこれでもかと降りしきるゲームであり、
感覚的には10月以降のような気がするのである。
(追記の註:満月になるのは27日の明け方5時なので実質的には26日)

で、もう一つの案として、6面の背景の満月は無視して(ぉぃ)、2007年10月19日(旧暦9月9日) 
とするのはどうだろう? 
というのも重陽の日はその名の通り、陽が極まる日、
神奈子の「乾」もまた三爻すべて陽で陽が極まる卦だからである。
(追記の註:風神録の山登りはまさに登高に思える)

でもって、東方風神録の起動画面は野菊(竜脳菊か?)。
花映塚までは蓮の花(おそらく桃源郷を英訳するとLotus Land だからで、Lotusとは蓮のこと)が
起動画面の画像だったのが、風神録で大きく変わったのも、
重陽の日に設定したからじゃないかな~と思ったり。
風神録起動画面


だからなんだ、と言われても困るのだけど。

さていつもの蛇足。風神録の植物関係で。
6面で神奈子の背景に浮かぶ紋は「菊花と梶の葉」で構成されている。
梶は諏訪の紋だが菊も下社の紋だそうだ。
しかし、よく見ると、菊花が梶の葉を上書きするかのように配置されている。
ここに中央と地方の対立の跡をこっそり潜ませた意図が読み取れるのだが深読みだろうか?
 
追記に書きましたが、この画像は「日本の伝統紋様 コレクション300」より取られたもので、特段深い意味はないようです。
神奈子の後光
(安直にスコボのリプレイをスナップショットしたもの)

もう一つ風神録といえば、紅葉・菊と来て、「梅」である。
(その前に5面背景の参道に見える桜があったか)
神奈子の服の模様、どうも梅に見えるのだが、なぜ梅なのか元ネタがよくわからない。
神奈子の最後のスペル、MoFおよび神徳もどう見ても梅の弾幕に見える。
なんらかの意味があるのだと思うが。
東方元ネタwikiには「梶の葉が三重になった形」を表わしたものとあるんだけど、どうも梶の葉に見えないのだ。
むしろ、梅紋の一つ「捩れ梅」の形になって弾幕が展開されているように見える。
梅紋の形をしている神徳

捩れ梅に見えません? 
神徳2
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