今の幻想郷は昔に比べてゆるくなったのか?
カテゴリ:東方
2009/11/01
久しぶりに東方幻想郷体験版をプレイする。
といっても、ニコニコ動画で再び注目されているBAD APPLE!!の原曲が聞きたいわけではない。
(言うまでもなくBAD APPLE!!は東方幻想郷の3面道中曲。原曲を聞きたい方は、
AOTAKA氏のサイト「AOTAKA's玉砕日報」内にあるAmusement Makers(旧)公式サイトからダウンロードしましょう。
Windowsでプレイする方法は、
宇賀神智大氏のサイト「らいくりっく。」を参考にしましょう)
ではなぜ今更東方幻想郷かというと、1面ボスのオレンジに会うためである。
というのも、東方星蓮船の白蓮の会話を読んでいるうちに、オレンジのことをふと思い出したから。
今回のネタは、
今の幻想郷と昔の幻想郷は、世界観としてどちらがゆるくてどちらがシリアスなのか?
ということ。(もちろんシリアスゲームかどうか、という意味ではない。
ゆるい、適当=ルーズ、真面目、深刻=シリアス、ぐらいに考えて欲しい。
なお萃香の能力にある疎と密という言葉も、疎がloose、密がtightである。
多分「ゆるい」の反対語としては「タイト=きっちり、綿密」あたりがいいんだろうが、
とりあえずここではシリアスを対比させる)
ま、シリアスだとかゆるいとかは主観的なものなんで、どうとでも言えてしまうんだが、
とりあえず以下の二つの会話を見て、語ってみたい。
東方幻想郷1面




このあと、オレンジは
「あはは、1面のボスだからってなめちゃいけないよ!
あなた位、ぴゅっぴゅっぴゅ~のぴゅ~よ!」
と、くにおくんシリーズの有名な台詞を吐くのだが、
もちろん1面ボスなのであっさり靈夢にやられることになる。
(しかも最後まで名前が明かされない可哀想なキャラ)
で以下の台詞が続く。


次に、東方星蓮船の白蓮と霊夢(A)の会話である。(Bの会話もなかなか面白いのだが、とりあえずAで)
会話を全部載せると大変なので、後半の会話を切り貼りして加工してあります。
東方星蓮船6面

さて、どちらの世界観がゆるくてどちらがシリアスに感じられただろうか。
抹殺、封印という単語、死にたくないというセリフに対してあきらめなさいと、
会話だけ読むとなんとも殺伐としているが、私には、前者の東方幻想郷の方がずっとゆるく感じられるし、
逆に東方星蓮船の方はあまりにもシリアスに感じられる。
(東方幻想郷ではシリアス色が強いのがこのオレンジと靈夢の会話。
幽香との会話なんかあまりにゆるすぎて今の東方ファンはついていけないかもしれない。
旧作の会話が読みたい人は幻想情報局 -イザヨイネット-という素晴らしいサイトでEDの会話以外読めます。
ちなみに東方幻想郷のラスボス幽香に対して靈夢は
「私は、靈夢、巫女よ! この館もろとも封印しに来たのよ」と言って幽香を倒し、
封印して瓶に閉じ込めるのだが結局EDで魔理沙に瓶を開けられ逃げられる。
封魔録もEDで魅魔を封印するのだが、封を破られて逃げられる。
旧作では、封印されることはあんまり深刻な問題じゃないのである。
(ここら辺は星蓮船の白蓮への対応とまったく違う)
もちろん、あのあとオレンジが本当に殺されたかどうかは定かではない。
2面でくるみに「あなたも帰った帰った」と言っているから、
夢幻界に追い返されただけかもしれない。
しかし、問題はそこではないのだ。
たとえ虐殺があろうと地球が真っ二つになろうと人類滅亡の危機になろうと、
ギャグはギャグだし、ゆるいノリならゆるいのである。
ゆるい世界観のSTGと言えば、真っ先にティンクルスター スプライツ ~La Petite Princesse~が思い浮かぶのだが、
(これはティンクルスタースプライツの続編で、
東方花映塚はティンクルスタースプライツ~LPPの発売時期を意識して開発された経緯がある)
東方の旧作はこのノリに近い、正真正銘の「ゆるさ」を感じるのだ。
(ティンクルスタースプライツ~LPPをやれば、
世界の破滅を防ぐようなストーリーがシリアスな世界観と無関係であることがよくわかると思う)
では、東方星蓮船の世界観は? ガチガチにシリアスなんじゃないの?
これはキャラとか操作性とか音楽とかも含めて、真面目に作られている、というのもあるけど、
その根柢には妖怪と人間の関係が「どうでもいいこと」じゃない、というのがあると思う。
弾幕ごっこが遊びか殺し合いかどうかはともかく、白蓮らは思想に対してシリアスなのである。
ここら辺、映姫、神奈子もそうなのだが、Windows版の東方のボス、特にラスボスは基本的にマジメである。
あのお空だってEDで呆けるまではゆるさを微塵も見せないし、幽々子も登場初期はともかく、
だんだん「ゆるいように見えるのは実は演技」というキャラになってきた。
レミリア、萃香と天子の行動、あるいは三月精や四コマ儚月抄にはゆるい世界観をかろうじて見出せるかもしれないが、
旧作のゆるさには比べるべくもない。
別に永琳や綿月姉妹だけが深刻なキャラではないのである。
なぜWindows版のボス達は旧作キャラのようなおちゃらけたノリになれないのだろう?
ZUN氏の言う「世界観」が旧作と今では違う、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、
ゲームシステム上は旧作と現在とそんなに変わっているわけではない。
6面構成にExステージ付き、かすりや抱え落ち、キャラ性能などなど、
スペルカードシステムと上部回収、リプレイ保存などの要素を除けばそんなに違わないし、
むしろスペルカードルール=弾幕ごっこなら、
小学生たちの雪合戦よろしく、あるいは中高生が遊ぶエアガンを使ったサバイバルゲームよろしく
もっと遊びということを前提にしたゆるゆるの世界になっても良さそうなはずなのだ。
一つは、自身の存在理由を賭けた展開になることが多いから、ということがあるだろう。
幽々子、永琳と輝夜、神奈子、白蓮は、戦う理由が自分の存在の行方と関わっているのである。
特に永遠亭と守矢神社は旧作の岡崎夢美とは違って帰る場所がないのであり、
おちゃらけている余裕なんてない、と言えるかもしれない。
(風神録EDを見ると、神奈子って必死に信仰集めしてるよなあ……と思う。
メタ的には諏訪の方が東方イベントでむしろ盛り上がってしまったわけで、そこら辺も面白い)
レミリアや天子、三月精のメンバーがおちゃらけ要素満載になれるのは、自分の存在を問う必要がないからだ、と言える。
その意味でレミリアらは自由だし、逆にフランドールが儚月抄に出れなかった
(パーティのコマの端にフランの羽っぽいものは見えるのだけど)理由もそれなのかもしれない。
ただ、この理由は極めて常識的で非常にくだらない物であるかもしれないので、別の理由を考えることを余儀なくされた。
で、二つ目の理由。
ZUN氏はインタビューで、
「ただ,東方がシューティングで,オリジナルで,日本をテーマにしてるのは,自分の中では自慢だったりします。
典型的な日本のゲームにして,「これは日本で作ってるよ」ってイメージを打ち出して,
しかも遊ぶ人を選ぶ弾幕シューティングをわざわざ作っているというのは,うちのサークルの自慢です。
自分しかいないサークルですけど。」
(シューティングの方法論より)
と語っている。
上海アリスを名乗っておいて「上海」はどこに行ったんだ、という突っ込みは置いておくとしても、
この東方がシューティングで,オリジナルで,日本をテーマにしてるのは,自分の中では自慢
というのがかなり大きな縛りになっている気がするのである。
(最近は日本がテーマというよりも「故郷をテーマにしてる」とより郷土性を前面に打ち出している気がする)
つまり、日本をテーマにしている以上変なものは作れない、ということなんじゃないか。
それが妖々夢以降の作品の真面目さに直結している気がする。
暢気な霊夢と陽気な魔理沙が、旧作のふわふわした感じがなくなって、地に足が着いた感じになっちゃったのも、
世界観が日本を背負い、作者の故郷を背負ってしまっているからじゃないか。
という感じの結論に至ったわけだがどうだろう。
なお、ZUN氏はテキストで物語を語るとかなりどぎつい話になる気がする。
キャラ設定テキストの話や小説版儚月抄など……
これは多分、荒俣宏と藤木稟の影響だと思う。
『帝都物語』や「明治十七年の上海アリス」の元ネタ『上海幻夜』、
ZUN氏が一時期サイトでプッシュしていた『陀吉尼の紡ぐ糸』などどれも暗くてどぎつい小説である。
素直に儚月抄を読んだ時、まっさきに脳裏に浮かんだ問題は、
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。」
などとキャラクターに言わせておきながら、
東方Projectは永琳の使者殺しを受け入れることができなかった
という点なんだが、
テキストに書いてしまった使者殺しをおちゃらけたノリで笑い飛ばすことは出来なかったんだろうなあとも思う。
豊姫が地上に降りて紫と藍を縛った後、なぜ豊姫は永琳に会わなかったのだろうか?
とは割りと読者の多くが思うことなんじゃないかと思う。
あそこで豊姫と永琳を会わせないあたり、作者の必死さが伝わってくる。
豊姫「八意様と一緒に地上に降りた使者はどこに行ったんですか?」
永琳「いやまぁその」
というわけには行かなかったのだ。
儚月抄(特に小説版儚月抄)における永琳の扱われ方の悲劇性というのは、
実は事実上使者殺しがなかったことにされた程度では収まらないと思うのだが、
それはあまりにも多岐に渡るのでやめておこうと思う。
しかし、旧作と比べて、今のゆるさのない、隙がなくてシリアスな東方の世界観が
儚月抄の構成でさまざまな問題を抱えることにつながったと思う。
……ともっともらしい長文を連ねてきたのだが、これ投稿するのためらうんだよねえ……
東方を語る時に私の方がシリアスになってしまって色々失敗した経験があるので……
もっとおちゃらけたゆる~い文章にしたかったんだが、勿体ないので投稿してしまうことにした。
といっても、ニコニコ動画で再び注目されているBAD APPLE!!の原曲が聞きたいわけではない。
(言うまでもなくBAD APPLE!!は東方幻想郷の3面道中曲。原曲を聞きたい方は、
AOTAKA氏のサイト「AOTAKA's玉砕日報」内にあるAmusement Makers(旧)公式サイトからダウンロードしましょう。
Windowsでプレイする方法は、
宇賀神智大氏のサイト「らいくりっく。」を参考にしましょう)
ではなぜ今更東方幻想郷かというと、1面ボスのオレンジに会うためである。
というのも、東方星蓮船の白蓮の会話を読んでいるうちに、オレンジのことをふと思い出したから。
今回のネタは、
今の幻想郷と昔の幻想郷は、世界観としてどちらがゆるくてどちらがシリアスなのか?
ということ。(もちろんシリアスゲームかどうか、という意味ではない。
ゆるい、適当=ルーズ、真面目、深刻=シリアス、ぐらいに考えて欲しい。
なお萃香の能力にある疎と密という言葉も、疎がloose、密がtightである。
多分「ゆるい」の反対語としては「タイト=きっちり、綿密」あたりがいいんだろうが、
とりあえずここではシリアスを対比させる)
ま、シリアスだとかゆるいとかは主観的なものなんで、どうとでも言えてしまうんだが、
とりあえず以下の二つの会話を見て、語ってみたい。
東方幻想郷1面




このあと、オレンジは
「あはは、1面のボスだからってなめちゃいけないよ!
あなた位、ぴゅっぴゅっぴゅ~のぴゅ~よ!」
と、くにおくんシリーズの有名な台詞を吐くのだが、
もちろん1面ボスなのであっさり靈夢にやられることになる。
(しかも最後まで名前が明かされない可哀想なキャラ)
で以下の台詞が続く。


次に、東方星蓮船の白蓮と霊夢(A)の会話である。(Bの会話もなかなか面白いのだが、とりあえずAで)
会話を全部載せると大変なので、後半の会話を切り貼りして加工してあります。
東方星蓮船6面

さて、どちらの世界観がゆるくてどちらがシリアスに感じられただろうか。
抹殺、封印という単語、死にたくないというセリフに対してあきらめなさいと、
会話だけ読むとなんとも殺伐としているが、私には、前者の東方幻想郷の方がずっとゆるく感じられるし、
逆に東方星蓮船の方はあまりにもシリアスに感じられる。
(東方幻想郷ではシリアス色が強いのがこのオレンジと靈夢の会話。
幽香との会話なんかあまりにゆるすぎて今の東方ファンはついていけないかもしれない。
旧作の会話が読みたい人は幻想情報局 -イザヨイネット-という素晴らしいサイトでEDの会話以外読めます。
ちなみに東方幻想郷のラスボス幽香に対して靈夢は
「私は、靈夢、巫女よ! この館もろとも封印しに来たのよ」と言って幽香を倒し、
封印して瓶に閉じ込めるのだが結局EDで魔理沙に瓶を開けられ逃げられる。
封魔録もEDで魅魔を封印するのだが、封を破られて逃げられる。
旧作では、封印されることはあんまり深刻な問題じゃないのである。
(ここら辺は星蓮船の白蓮への対応とまったく違う)
もちろん、あのあとオレンジが本当に殺されたかどうかは定かではない。
2面でくるみに「あなたも帰った帰った」と言っているから、
夢幻界に追い返されただけかもしれない。
しかし、問題はそこではないのだ。
たとえ虐殺があろうと地球が真っ二つになろうと人類滅亡の危機になろうと、
ギャグはギャグだし、ゆるいノリならゆるいのである。
ゆるい世界観のSTGと言えば、真っ先にティンクルスター スプライツ ~La Petite Princesse~が思い浮かぶのだが、
(これはティンクルスタースプライツの続編で、
東方花映塚はティンクルスタースプライツ~LPPの発売時期を意識して開発された経緯がある)
東方の旧作はこのノリに近い、正真正銘の「ゆるさ」を感じるのだ。
(ティンクルスタースプライツ~LPPをやれば、
世界の破滅を防ぐようなストーリーがシリアスな世界観と無関係であることがよくわかると思う)
では、東方星蓮船の世界観は? ガチガチにシリアスなんじゃないの?
これはキャラとか操作性とか音楽とかも含めて、真面目に作られている、というのもあるけど、
その根柢には妖怪と人間の関係が「どうでもいいこと」じゃない、というのがあると思う。
弾幕ごっこが遊びか殺し合いかどうかはともかく、白蓮らは思想に対してシリアスなのである。
ここら辺、映姫、神奈子もそうなのだが、Windows版の東方のボス、特にラスボスは基本的にマジメである。
あのお空だってEDで呆けるまではゆるさを微塵も見せないし、幽々子も登場初期はともかく、
だんだん「ゆるいように見えるのは実は演技」というキャラになってきた。
レミリア、萃香と天子の行動、あるいは三月精や四コマ儚月抄にはゆるい世界観をかろうじて見出せるかもしれないが、
旧作のゆるさには比べるべくもない。
別に永琳や綿月姉妹だけが深刻なキャラではないのである。
なぜWindows版のボス達は旧作キャラのようなおちゃらけたノリになれないのだろう?
ZUN氏の言う「世界観」が旧作と今では違う、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、
ゲームシステム上は旧作と現在とそんなに変わっているわけではない。
6面構成にExステージ付き、かすりや抱え落ち、キャラ性能などなど、
スペルカードシステムと上部回収、リプレイ保存などの要素を除けばそんなに違わないし、
むしろスペルカードルール=弾幕ごっこなら、
小学生たちの雪合戦よろしく、あるいは中高生が遊ぶエアガンを使ったサバイバルゲームよろしく
もっと遊びということを前提にしたゆるゆるの世界になっても良さそうなはずなのだ。
一つは、自身の存在理由を賭けた展開になることが多いから、ということがあるだろう。
幽々子、永琳と輝夜、神奈子、白蓮は、戦う理由が自分の存在の行方と関わっているのである。
特に永遠亭と守矢神社は旧作の岡崎夢美とは違って帰る場所がないのであり、
おちゃらけている余裕なんてない、と言えるかもしれない。
(風神録EDを見ると、神奈子って必死に信仰集めしてるよなあ……と思う。
メタ的には諏訪の方が東方イベントでむしろ盛り上がってしまったわけで、そこら辺も面白い)
レミリアや天子、三月精のメンバーがおちゃらけ要素満載になれるのは、自分の存在を問う必要がないからだ、と言える。
その意味でレミリアらは自由だし、逆にフランドールが儚月抄に出れなかった
(パーティのコマの端にフランの羽っぽいものは見えるのだけど)理由もそれなのかもしれない。
ただ、この理由は極めて常識的で非常にくだらない物であるかもしれないので、別の理由を考えることを余儀なくされた。
で、二つ目の理由。
ZUN氏はインタビューで、
「ただ,東方がシューティングで,オリジナルで,日本をテーマにしてるのは,自分の中では自慢だったりします。
典型的な日本のゲームにして,「これは日本で作ってるよ」ってイメージを打ち出して,
しかも遊ぶ人を選ぶ弾幕シューティングをわざわざ作っているというのは,うちのサークルの自慢です。
自分しかいないサークルですけど。」
(シューティングの方法論より)
と語っている。
上海アリスを名乗っておいて「上海」はどこに行ったんだ、という突っ込みは置いておくとしても、
この東方がシューティングで,オリジナルで,日本をテーマにしてるのは,自分の中では自慢
というのがかなり大きな縛りになっている気がするのである。
(最近は日本がテーマというよりも「故郷をテーマにしてる」とより郷土性を前面に打ち出している気がする)
つまり、日本をテーマにしている以上変なものは作れない、ということなんじゃないか。
それが妖々夢以降の作品の真面目さに直結している気がする。
暢気な霊夢と陽気な魔理沙が、旧作のふわふわした感じがなくなって、地に足が着いた感じになっちゃったのも、
世界観が日本を背負い、作者の故郷を背負ってしまっているからじゃないか。
という感じの結論に至ったわけだがどうだろう。
なお、ZUN氏はテキストで物語を語るとかなりどぎつい話になる気がする。
キャラ設定テキストの話や小説版儚月抄など……
これは多分、荒俣宏と藤木稟の影響だと思う。
『帝都物語』や「明治十七年の上海アリス」の元ネタ『上海幻夜』、
ZUN氏が一時期サイトでプッシュしていた『陀吉尼の紡ぐ糸』などどれも暗くてどぎつい小説である。
素直に儚月抄を読んだ時、まっさきに脳裏に浮かんだ問題は、
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。」
などとキャラクターに言わせておきながら、
東方Projectは永琳の使者殺しを受け入れることができなかった
という点なんだが、
テキストに書いてしまった使者殺しをおちゃらけたノリで笑い飛ばすことは出来なかったんだろうなあとも思う。
豊姫が地上に降りて紫と藍を縛った後、なぜ豊姫は永琳に会わなかったのだろうか?
とは割りと読者の多くが思うことなんじゃないかと思う。
あそこで豊姫と永琳を会わせないあたり、作者の必死さが伝わってくる。
豊姫「八意様と一緒に地上に降りた使者はどこに行ったんですか?」
永琳「いやまぁその」
というわけには行かなかったのだ。
儚月抄(特に小説版儚月抄)における永琳の扱われ方の悲劇性というのは、
実は事実上使者殺しがなかったことにされた程度では収まらないと思うのだが、
それはあまりにも多岐に渡るのでやめておこうと思う。
しかし、旧作と比べて、今のゆるさのない、隙がなくてシリアスな東方の世界観が
儚月抄の構成でさまざまな問題を抱えることにつながったと思う。
……ともっともらしい長文を連ねてきたのだが、これ投稿するのためらうんだよねえ……
東方を語る時に私の方がシリアスになってしまって色々失敗した経験があるので……
もっとおちゃらけたゆる~い文章にしたかったんだが、勿体ないので投稿してしまうことにした。
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