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2011年04月の記事一覧

2011/04/17

2011年4月16日0時に東方神霊廟の体験版がWeb公開された。
これは3月11日の地震による震災の影響で、第8回博麗神社例大祭が延期になったことによるもの。
例大祭自体は5月8日に開催されるが、その前にWeb公開が先行した形となった。
また、上海アリス幻樂団はメロンブックスで体験版CDを発売し、全額東北大震災の義捐金に寄付するとのこと。

さて、さっそく体験版をダウンロードしハードまで全キャラでクリアしたので、その概要と体験版より先の展開の予想を綴ってみたい。

・概要
正規ナンバーがついている通り、星蓮船までと同じオーソドックスな弾幕STG。
操作できるキャラクターは博麗霊夢、霧雨魔理沙、東風谷早苗、魂魄妖夢の4人。
従来通り体験版はステージ3まで。
1面中ボス:謎の飛行物体。大神霊??
1面ボス:西行寺幽々子
2面中ボス&ボス:幽谷響子(新キャラ、山彦。中ボスも同じ)
3面中ボス:多々良小傘
3面ボス:宮古芳香(新キャラ、キョンシー)
と、なんと新キャラが2人しかいないという珍しい事態が発生している。

ストーリーは、春の桜が咲く頃、幻想郷に溢れた「神霊」をなんとかするために3.5人+半霊が動く、
という花映塚と妖々夢を足したような話から始まっている。

新システムだが、「霊界に行く」システムが導入された。
敵を倒すと「小神霊」が発生し、これを集めることで素点を上げたり、残機の欠片やボムの欠片を入手できる。
また小神霊を集めて画面左下の「霊界ゲージ」を1ゲージ以上貯めた状態でミスをした場合、一定時間霊界に入ることができる。
(しかし時間が終わればミスになる)
さらに、ゲージがフルの状態でトランスボタンを押すとミスをせずに霊界に行くことができる。
なお霊界に入っている状態では操作キャラは無敵、かつ攻撃力が増大し、また小神霊が活性化して集めた時の効果が上がる。
霊界自体は、旧作の東方怪綺談魔理沙GoodEndで言及されていたが、登場するのは初めてだ。

以上が概要。

さてこの東方神霊廟、ざっとプレイしてみたが、世界観、キャラ、音楽、舞台からゲームシステムまで、あちこちに問題含みである。
(バグの問題はこの際置いておく)
この問題についてはいずれ書くかもしれないが、いましばらく寝かせておく。

今回ブログに書こうと思っているのは神霊廟そのもののテーマおよび方向性の「予想」である。

まず予想する上で注目すべきものをピックアップしよう。

Web上のマニュアルに書かれたバックストーリーにいきなり目を引く文章がある。
「そこで神霊は悟るのだった。
 我々個々人の、稼ぎたいとか弾幕に当りたくないとか、ましてや
 スペルカードを使いたいとか、そんな小さな欲を聞き入れる者など
 幻想だと。その程度の欲は結局自らの努力無しには成就されないと。

  それでも一縷の望みをかけて神霊は一心不乱に闇を進む。
  そうして自分が生まれた原因も掴めぬまま、無に帰すのだ。

  その様子を見てほくそ笑む者がいた事に気付かぬまま果てるのだ。

  復活が近いことに笑みを浮かべ――
  そして復讐を誓った。」

このようなメタなネタが入ってくるのは初めてではなかろうか。
ここで神霊らの思う「我々個々人」に東方をプレイするプレイヤーの欲望が重ねられている。
(勿論表向きは幻想郷の住人の欲望として解釈することも可能だが――)
おそらく、このテーマ(プレイヤーのシューティングゲームに対する欲望)を
ゲームシステムに活かすのが東方神霊廟の方向であろう。
なお、神霊廟のシステムはまさに「稼ぎたいとか」(稼ぐのは難しい)
「弾幕に当たりたくないとか」(ほとんどの状況で喰らいボムは使用不可能)
「スペルカードを使いたいとか」(ボムの欠片もほとんど出ない)
こういった欲望を殺ぎ落とすシステムになっている。

次にバックストーリーをよくよく読むと、あれと思う文がある。霊夢と魔理沙の会話だ。

 霊夢 「何か、前にこんな幽霊だらけの春があったよね」
 魔理沙「ああ、でもあの時は花見できなかった気がするぜ。
     春が殆ど無かったからな」
 霊夢 「そうねぇ、あの時は冥界の奴らの所為だったんだよねぇ」

霊夢が言う『こんな幽霊だらけの春』とは六十年周期の大結界異変、つまり花映塚の話である。
どう考えても花映塚が似ているのだが強引に妖々夢の方と関連付けされてしまっている。
外の世界から入り込んだ幽霊+花々で溢れた大結界異変と、
雪に埋もれた(しかも幽霊で溢れたわけではない)春雪異変を取り違えることがありうるのだろうか?
少なくとも製作者は間違えないだろう。


追記:コメントで指摘を受けまして妖々夢のエキストラストーリーを読み返したところ、
  「幽霊だらけの神社」という発言がありました。
  ですので、霊夢が大結界異変ではなく春雪異変を思い出すということはあり得ますので訂正します。  
   その上で、幻想郷全体で霊が発生するという点で、妖々夢より花映塚の方が近い、
   という考えは変わりません。
 
ならば異変パターンのベースはやはり花映塚の方にあると見るべきだ。
ただし外部からの幽霊の侵入(侵入を引き起こした外の世界の出来事は不明)だったのを
幻想郷の内部で発生したと置き換えたのが神霊廟の基本的なアイデアではないか。
だが、先ほどのメタ的なつながりを思い出せば、ストーリーとしての異変の原因は幻想郷内部でも、
プレイヤーの欲望が主人公に投影されるというメタ的な関係性を通して、
実はプレイヤー=外部と異変が結びついているのである。
ストーリーとしては異変は幻想郷内部に、しかしメタ的には異変は幻想郷外部に原因があるという構造になるのではないか。

一方で、妖々夢と関連付ける必要性があったのは確かだ
1面道中曲「死霊の夜桜」の作曲者コメントには
「今回のテーマは妖々夢と星蓮船の世界、両方に関わってくるのでやはり冥界は外せませんでした」
とある。
話の流れから言っても、神霊廟は妖々夢と星蓮船の続編になりそうである
問題はストーリーではなく「テーマ」が関わると言っている点だ。
では妖々夢と星蓮船に共通するテーマはなんだったかというと思い浮かぶのが「復活」である。
妖々夢も星蓮船も「封印されていた何者かが復活する」という話であり、
妖々夢では復活が失敗し、星蓮船では成功したわけだが、神霊廟もそのような話になるのではないか。
個人的には、2作続けて「何者かが復活する」では新味に乏しいと思うのだが、
(おまけに地下からの復活であれば、なおさら星蓮船と構造が被る)
それでもやる必然性があるのだろう。

さらにゲームをプレイしていくと、キョンシーである宮古芳香を操る人物、大祀廟という廟名、
そしてどうやら廟に祀られている人物が仏教勢力と敵対していたと思しき事情が匂わされる。
つまり「宗教戦争」が過去話として出て来るだろうということだ。
(なお、宮古芳香と同姓同名の歴史的人物として、都良香がいる。
以前ブログで書いたように茨歌仙第1話で華扇が口にした「水消えて波は旧苔の髪を洗う」の元ネタの人物である。
もしかすると茨木華扇と知り合いかもしれない)

設定に目を転じると、神霊=人間の欲という新設定が加わった。
人間の欲が神霊を生み出す、となれば自然現象の具現=妖精、気質の具現=幽霊に加え、欲の具現=神霊という図式が出来上がる。
つまり神が先にいて人間が存在するのではなく、人間がいるからこそ神がいるという、
明確な人間中心主義が東方の世界観に打ち出された。
今までも東方に関して人間中心主義的な世界観は垣間見えていたが、神に関してはっきり打ち出されたのは初めてだろう。
何が言いたいかというと、異変のそもそもの原因が異変を起こした者ではなく、
主人公側人間、ひいてはプレイヤー側に帰結される展開が考えられるということだ。


と、ここまで見てくれば、私が見る神霊廟のテーマ的予想ポイントは3つにまとまる。
・異変のパターンは花映塚だが、ストーリー上の原因を幻想郷の外ではなく内部に求めている。
 しかし、メタ的にはプレイヤーの欲望が異変の原因になりうる。
・妖々夢および星蓮船と同様、「古い存在の復活」がテーマになるだろう。
・人間の欲が神を生み出し、結果として宗教戦争を起こす展開、つまり人間中心主義的展開になるだろう。

ではこの結果どういう展開が考えられるか。
まず花映塚の方は根本的な原因が外部にあった。
(幽霊の発生が幻想郷の外であり、また異変のプロセスも六十年周期という人間の手に負えないものだった)
この結果、花映塚は開放的ではあるがテーマが明瞭ではなかった。
花映塚は異変に偶然遭遇した様々な人物が、映姫らの手を借りて自らの抱える問題を認識する、
というカウンセリングのような話だ。
神霊廟は、異変の発生を幻想郷に置くことで、問題の根本的な解決という方向性を得たといえよう。
つまり、幻想郷の住人に何らかの責任が発生するエンディングになる可能性がある。
一方、花映塚のように開放的であるよりかは、内向的かつ深刻な話になるだろうと予想する。
(なお他の異変は紅い霧、春、満月、飛倉の欠片など無生物が異変の中心で、
山を登ることと地底を降りることが主目的だった風神録と地霊殿を除くと、
神霊廟と比較できるのは花映塚ぐらいしかない)

キャラクターの責任という問題は、妖々夢および星蓮船との関係にも繋がる。
ここで妖々夢と星蓮船を考えてみよう。
妖々夢は春を取り戻す過程で西行妖を封印しただけで、富士見の娘を復活させるか否か、主人公らが決断したわけではない。
星蓮船も同様で、主人公は妖怪達のチームプレイでなし崩し的に状況を変えられたため事実上選択権はなかった。
一方で、異変を起こした側の欲望にも焦点は当たらなかった。
西行寺幽々子がなぜ富士見の娘を復活させたかったのか、幽々子の欲望の深層はついぞわからず仕舞いだった。
白蓮の方はその欲=虐げられた妖怪の救済という意図はわかりやすいが、その是非については不問に付されている。

その結果、同じ妖怪でありながら、西行妖は封印し聖白蓮は復活させるという点で一貫性がない。
神霊廟で「あえて『何者かが復活するネタ』をもう一度やる」のならば、この点でもう一歩踏み込んだストーリーになるかもしれない。
つまり最終的な決断を主人公が(要するにプレイヤーが)選び、
異変を起こした相手の欲望とプレイヤー側の欲望のマッチングを迫られる展開だ。
もちろん選択によって悲劇的な展開になることは東方ではないだろうが、
永夜抄のように選択によってルート分岐の可能性はある。

こう考えると、プレイヤーの欲望がメタなネタとして展開される理由が腑に落ちる。
世界観としては幻想郷の住民の欲望が神を生み出し、それを利用する者への主人公側の対決になるが
メタ的にはプレイヤー自身のシューティングゲームへの欲望の質を問われるといった内容になるのではないか
例えば、異変を起こしたものの問いかけへの選択によって、
単純に残機の欠片ばかりが出るルートと素点を上げる小神霊ばかりが出るルートへ分岐するような。

さらに一歩進むと、「古いもの、忘れ去られたものを受け入れたい」という「幻想郷そのものの欲望」が、
問われる可能性がある。
少なくとも幻想郷はこの欲望については一貫して肯定してきた。いやむしろそれこそが存在意義である。
だが、「古いものを受け入れる欲望」に問題はないのだろうか、というテーマが神霊廟で浮上するかもしれない。


これが、私が予想する神霊廟の真のテーマである。

いや、もちろん儚月抄の例もあるとおり、色々と要素を並べておいてまったく活かさずに別の展開になることもあるわけだが。

おまけ:悪ノリしてもう一歩
話がメタ的になるなら、「宗教戦争」をメタ的に予想することも必要になってくる。
ゲーム業界人なら、ゲーム機のハードを巡る闘争が想起されるかもしれない。
が、もっと東方と関係した要素としては、PC/AT互換機に敗れたPC-98がネタとしてクローズアップされるかもしれない。

もし、プレイヤーの欲望と製作者の欲望、主人公の欲望と異変を起こした者の欲望、そして幻想郷の欲望を考えるならば、
例えばPC-98の擬人化すらありえる。
そしてPC-98時代のキャラが登場し、「本当に、忘れ去られた者を復活させ、幻想郷が受け入れることは肯定されるべきか」
という問いを突きつけて来るかもしれない。

つまり、意外にも神綺や魅魔の再登場はあるのかもしれない。
(ないと思っているけど)
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2011/04/19

順序が逆になってしまったが、神霊廟体験版を考察してみよう。

ここで考察するのは「霊界」と「張り付き」だ。

東方の世界観は異界によって拡張されてきた。
幻想郷という(外の世界から見ればこれもまた異界である)基本的な世界に対し、
外部の様々な異界(魔界、冥界、天界、旧地獄、月の都)を
地理的に幻想郷に接続することで世界を広げてきたのである。
ところが、神霊廟の霊界システムは「異界」を地理的な距離ではなく、
層的な距離として捉え直す点で、東方の世界観的な転回といえる。
要するに地理的な大移動ではなく、異なる世界を同時に重ねたのが今回の霊界である。
東方におけるこの手の表現は儚月抄の「表の月」と「裏の月」の関係が嚆矢だろう。
綿月豊姫は表の月と裏の月を瞬時に入れ替えることで、八雲紫の鴉を殺害したのだが
あの描写は今回の霊界システムの近しいものがある。

まあこの発想自体はゲームシステムとして良くあるだろう。
同じマップを複数の世界として切り替えることでリソース削減が出来る。
セガが発売した「ベヨネッタ」などはまさに同一のマップに複数の異界を重ね合わせ、
製作期間の短縮を実現した例だ。
東方神霊廟でも、その場で霊界に入ることで新しいステージを作ることなく世界を拡張した。
現実の世界を層的にずらすことで、複数の異界をいくらでも表現できる、
という手法は今後の東方の世界観を大きく変えていくかもしれない。

さて霊界と関連して神霊廟で特徴的なのは、残機がない時点での「あがき」の表現だ。
これはおそらく「不死身の妖精が何度でもエクステンドする」妖精大戦争への
「反動」として評価するのが妥当だろう。
(花映塚のEDで死を考えたのはチルノだったが、
チルノが妖精大戦争で死についての考察を活かした形跡はない。
大戦争は「戦争」というともすれば陰惨で残虐である事象を、
戦争ごっことしてコミカルに描くことで、死についてのシリアスさを吹き飛ばした印象がある。
死についてのテーマはむしろ神霊廟に現れたのかもしれない)

妖精大戦争は、凍らせる快感という直感的なわかりやすさと、
凍らせること、グレイズ、チャージなどの操作と、
スコア、パワー、ボム、エクステンドなどの諸要素が有機的に関係し、
東方Projectの一つの完成形と言ってもおかしくない秀逸なシステムになっていた。
個人的にはこれを超えるシステムは当分出てこないんじゃないか、と思っている。
だから、なのかもしれない。
神霊廟は妖精大戦争とは違うものを作らなくては、という作者の意識をありありと感じてしまうのだ。
わかりにくいスコアリングシステム、パワーやボム、エクステンドの極端な少なさと関係の不明瞭さ、
トランスによるスペルカードシステムの無意味化、ほとんどの場合での喰らいボムが無効化された。
そしてこの妖精大戦争への反動の骨頂が「満身創痍直前のあがき」なのだ。
(もちろん妖精大戦争から引き継いだものもある。円形のボス体力表示など)

誰も死なないゆるい世界で、死の直前の走馬灯体験のようなものを出すのに意味があるかはともかく、
この「あがき」が神霊廟の特徴になっていくだろう。
仮にあがいている間にエクステンドが可能ならそこにゲーム性が生まれるが、
もしかすると、製品版でもあがきはあがきのまま終わるような調整になるかもしれない。
バックストーリーに

 それでも一縷の望みをかけて神霊は一心不乱に闇を進む。
 そうして自分が生まれた原因も掴めぬまま、無に帰すのだ。

とある。
「無に帰す」とあるからには、あがいた結果エクステンドして生き延びるような希望のある展開を、
製作者は断じて許さないかもしれない。
13弾ということもあり、また死や欲を表現するならば、
あがきを本当にあがきのまま終わらせるというのでも、悪くはないかもしれない。
(ただ、ゲームシステムとしては相当不満が残る可能性もある)

なお体験版では、霊界に入ったのはミスかトランスの状態だけだった。
ラスボスのラストスペルでは、霊界戦闘なんて展開も当然考えられる。

次に、「張り付き」である。
この神霊廟、スコア稼ぎにはとにかく張り付きが重要だ。
あるいはボムや霊界状態での「重なり」。
これがゲーム性はともかく世界観として何を表しているのか、
ずっとわからなかった。
だが、このゲームが欲をテーマにしているなら、答えは一つだ。
それは性欲の表現である。

二軒目ラジオで、ZUN氏はエロの表現としてR-type FINALのような描写を批判していた。
それを踏まえ、性欲のシューティングゲームとしての表現の、
ZUN氏なりの結論が「張り付き・重なり」ではないだろうか。
東方はメカ同士が争うものではなく、人物同士が争う世界観だ。
となると張り付きや重なりに意味が付与されるのは当然の成り行きかもしれない。

なお、このゲームでは霊界では小神霊の効果が倍になるようだ。
なので霊界状態でボスに重なって撃破するのが効率的になる。
現実では重なるとミスするが、形而上的世界(霊界)では重なることができる。
まさにプラトニックラヴといえよう。


さて、ここまで書いて来たが、一つ注意しなくてはならないことがある。
体験版のテーマや方向性は、あくまでも3月11日の大震災以前に作られたということだ。
ゲーム製作にあたっての自粛や自重などはないと考えているが、
あの震災の衝撃によってゲームのテーマ、方向性などががらりと変わってしまう可能性はあるだろう。
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