2009/11/23
twitter 動-鳥が囀る。
twit 動-(人を)嘲る。愚弄する。
twitterに手を出して1週間以上が経つ。
外からロムっていた時はわからなかったが、twitterは他者との距離が予想以上に近い。
少なくとも独白ごっこを楽しむような空間ではない。
「他人に聞こえるように喋る独り言」なのであって、どうしても他者のまなざしが介入する。
そこで時どき険悪なムードが醸成されることがある。
例えるなら、レストランで隣のテーブルの客の会話にカチンと来て、
わざとその客に聞こえるようにこっちのテーブルから大きな声で独り言を言う、というような感じ。
そもそも、twitterは予想以上に議論が盛ん。例えば東浩紀の周辺なんか議論ばっか。
「ゼロ年代は本当にカスで悲惨だった」のかどうかとか。どうみてもつぶやきの範疇ではない。
これは「語り」「論」の言論空間。
どうも「語り」指向へと誘導するインフラは140文字制限にあるようだ。
最初は140文字縛りがきついと思ったが、2バイト文字でも140文字にしてくれるあたり、
実はtwitterは日本語に寛容。というかアルファベットに対して日本語は情報量が多め。
(むしろ中国語(漢文)だと、140文字の情報量が相当なものに。表意文字大勝利の時代到来か?)
ん? 待てよ。てことは英語版のtwitterなら文字通り「つぶやき」になるが、日本語版だと「語り」に近いんじゃないか。
鳥のさえずりよりも、セミのさえずりに近い……というわけで、
語りたがり屋が続々とtwitterにやってきているんではないかと予想。
でtwitterでこんなこと言ってる人発見。
>ニコ動(ニコ生)にせよ、Twitterにせよ、それは「予測できない出来事性を共有体験しやすいアーキテクチャ」、
>いいかえれば「奇跡生成アーキテクチャ」なのだ。
これはtwitterにおける批評家濱野智史氏のつぶやき。
さて、日本語版twitterのアーキテクチャは日本語の「モーラベースの表音文字+漢字という表意文字」
という言語特性を見越した上での140文字制限だったのか。
これは気になるところだ。
もし2バイト文字で70文字制限だったとしたら……あるいは200文字だったとしたら……
ここら辺、日本語の特性に照らし合わせてアーキテクチャを最適化する数理的な式はないものだろうか、
とも思う。
もっとも、twitterを「語り」ツールと見る人のつぶやきを追うと、生活の臭いがほとんどしない。
逆に語らない人は生活の臭いに溢れている、そんな傾向があるように感じた。
別に生活の臭いに価値があるわけじゃないが、その人の人間性は何を語らないかで見えてくるものもあると思ったりしてしまう。
いや、やはり「リアルっぽいつぶやき」を導入するのは厄介だということかもしれない。
まあ2週間やっただけの人間の感想であるわけだが。そして気になるのはbotという奴である
。自動的に文章を生成して「それらしく」つぶやくbotには興味を惹かれる。
あれが進化すると、serial experiments lainの「lain」のようなのが出来上がるかもしれない。
(玲音、れいん、lain、レインはみな違うという懐かしいネタ)
攻殻機動隊に出てくる「人形使い」は当分先になりそうだが。
昔はネットというと「匿名性」を中心に色々語られてきた気がするが、
ブログにSNSにニコニコ動画、twitterと、Auther性(?)というものがゼロ年代後半の中心になったとも言えるかもしれない。
完全に匿名でも実名でもない、Autherとかうp主と呼ばれる存在。
2ちゃんねるには昔の様なパワーはないな、と思う今日この頃である。
さて、twitterに毒されたのか、こういうまとまりのない記事になってしまうのだが、
ここで(唐突に)東方のネタである。
このブログは東方ネタ縛りでやっているので、基本全ての記事で東方に触れねばならないのである。
twitterといえば我らが博麗神主の玉音を拝聴できることで有名。
でもあの人に限らず、有名人のつぶやきは「公」を意識した発言が多い。
神主にしてからが、コンプティークのコラム告知を、公式サイトでもブログでもやらずにtwitter限定で告知。
でもtwitterって同時性はいいけどまとめて読むには向かない媒体なんだよなあ。
ZUN名義と上海アリス幻樂団名義の使い分け……と言ってしまえば聞こえは良いのだが、
実態としては上海アリス幻樂団公式サイトは死んでいるも同然なわけで。
そこでZUN名義と上海アリス幻樂団名義の差を考えてみよう。
紅魔郷以来、「上海アリス幻樂団」という名の存在意義は年を追うごとにどんどん薄れていると感じるわけだが、ある意味当然と言える。
先入観なしに「上海アリス幻樂団」と聴けば、「中国人の歌手グループか何か」と思うだろうし、
ゲーム製作サークルとわかれば「少なくともゲームの舞台は上海なんだろう」と思うだろう。
(あるいは麻雀牌を使ったパズルゲーム「上海」に関連したゲームを作ってると推測するか)
そしてシューティングゲームのサークルと知れば、まさか日本限定のゲームをつくり、
製作物において過去に「上海」がただの一度も登場していない、などとは夢にも思わないはずだ。
「え? 上海アリスって名乗ってるけど、上海と何の関係があるんですか?」というツッコミが入るのは必然だ。
多分中国人13億人全員から総ツッコミが入る。
じゃ、なんで「上海」という看板が掲げられているのか。
東方Projectにおける「上海」の意味とは、フランス租界のイメージ、
もっというとこれは藤木稟の「上海幻夜」のイメージであると断言して間違いないと思うが、
そこに描かれる上海とは実はこんなイメージである。
「この上海に夢を求めて来た人達の多くは、過酷な労働に耐えられず、阿片中毒になってしまう。
それを阻止しようと戦った同胞達は何人も殺されてしまった……。ここでは、人の命の重さは紙切れ以下だ」(『上海幻夜』p54 以下同じ)
この上海幻夜がなければ現東方Projectは存在しなかったと言っても間違いない。
橙(チェン。本名は貞美鈴)や白蓮といったキャラの登場(というか白蓮は主人公朱雀十五の中国名)、
レミリアとフランドールを彷彿とさせる金夢魚と富貴鶏の姉妹、
そして藍の(そして紫の)ほぼ確定的な元ネタであり「陀吉尼の紡ぐ糸」とつながる神隠しの狐、
ここら辺は読んだ事のある読者なら言わずもがな。
「私も絶対改宗しない。白蓮教は私の血肉なの。生まれる子供の名前は白蓮よ!」(p68)
橙の人間らしい雰囲気は、娼館で一生を終えるものと諦めていないからだ。
彼女にはそれなりの夢がある。でも、靴の色なんかで呼ばれる事に抵抗を感じないんだろうか。(p278-279)
「ねえ、知ってたかしら? 姐さまが阿片中毒になったのは、
足の痛みを和らげる注射のせいじゃないの。あの嫌らしい男が姐さまの性器にたっぷり阿片を塗って、
姐さまの身体を弄んだからよ」
(中略)
富貴鶏はじっと姉の瞳を覗き込んだ。
「そうよ、わたし達は双子ですもの。姐さまにも分かっていた筈よ。どちらかが先に犠牲になる運命だったのよ……。
そうじゃなきゃ、わたし達は共倒れだったわ。」(p240)
「それから僕も研究してみたんだ。神隠しの事件は、昔の伝承だけではなく、現代でも意外と多いんだよ。
明治十七年には高知で松尾丑吉という五歳の子どもが、神隠しにあったことが新聞にも報道された記録がある。
基本的に神隠しというのは霊的な存在によって異界に連れ去られることを言うんだ。君達は霊界の存在を信じるかい?」(p194)
とまあ、上は宦官から下は阿片商人まであまりに過酷な上海租界のエピソードがオムニバス風に語られる中に、
思わずにやりと笑える東方Projectの元ネタがあちこちにあるのだが、
これに影響を受けた上海アリス幻樂団の作品自体にはさっぱり「上海」が登場しない。
もはや、麻雀牌を使ったパズルゲームの「上海」以上に、上海とは無縁のサークルである。
むしろ信州秋葉原アリス幻樂団と改名した方が良いような気もする。
となるとZUN名義が非常に多いのは、そこら辺に理由があるような気もするのだが、それはわからない。
しかし、さすがに7年近くやってるんだし、そろそろ上海を舞台にしたゲームも作ってみたらどうか、という気はするのだ。
そう、これが本日の結論。そろそろ上海アリス幻樂団が作った上海を舞台にしたSTGが見てみたい、というものである。
主人公が竹葉清酒を飲みつつ迫り来る上海蟹を酔っ払い蟹にして食べまくるSTGとか。
まあ、あのタイトーにしてからが、看板と内容が乖離しちゃった会社だから、
少なくともタイトーの熱狂的なファンであろうZUN氏がそれにならって「上海」の看板を下げないのもうなづける。
知ってる人は言わずもがなだが、あの「タイトー」とは「極東ユダヤ人」という意味である。
その名の通り、タイトーとは「極東ユダヤ人貿易会社」だった。
いまやスクウェア・エニックスの傘下になってしまったタイトーだが、あれは河豚計画の夢の跡なのである。
大連の特務機関で「河豚計画」を準備していた安江仙江に出会ったミヒャエル・コーガンが、
日本にやってきて米川正夫の元でドストエフスキーの翻訳を手伝いつつ勉強し、
その後個人経営の輸入会社「太東洋行」を作ったのがタイトーの始まりなのだ。
「河豚計画」の方は日独伊三国軍事同盟が結ばれた翌日、
当時陸軍大臣だった東條英機が安江仙江から特務機関長職を剥奪することで、
すがすがしいほど見事にぶっ潰されるわけであるが、
もしかすると「タイトー」は河豚計画の唯一の成果かもしれない。
ここら辺、大塚英志の『木島日記』あたりが思い浮かぶが、
そういえば同シリーズの『八雲百怪』は世界観が東方Projectにそっくりである。
荒俣宏の影響を受けざるをえなかった藤木稟や大塚英志という関係は比較すると面白いかもしれない。
やはり荒俣宏がサブカルチャーに与えた影響力は甚大である。
そして、東方Projectの裏舞台の近代史的なつながりは、これはこれで面白い。
twit 動-(人を)嘲る。愚弄する。
twitterに手を出して1週間以上が経つ。
外からロムっていた時はわからなかったが、twitterは他者との距離が予想以上に近い。
少なくとも独白ごっこを楽しむような空間ではない。
「他人に聞こえるように喋る独り言」なのであって、どうしても他者のまなざしが介入する。
そこで時どき険悪なムードが醸成されることがある。
例えるなら、レストランで隣のテーブルの客の会話にカチンと来て、
わざとその客に聞こえるようにこっちのテーブルから大きな声で独り言を言う、というような感じ。
そもそも、twitterは予想以上に議論が盛ん。例えば東浩紀の周辺なんか議論ばっか。
「ゼロ年代は本当にカスで悲惨だった」のかどうかとか。どうみてもつぶやきの範疇ではない。
これは「語り」「論」の言論空間。
どうも「語り」指向へと誘導するインフラは140文字制限にあるようだ。
最初は140文字縛りがきついと思ったが、2バイト文字でも140文字にしてくれるあたり、
実はtwitterは日本語に寛容。というかアルファベットに対して日本語は情報量が多め。
(むしろ中国語(漢文)だと、140文字の情報量が相当なものに。表意文字大勝利の時代到来か?)
ん? 待てよ。てことは英語版のtwitterなら文字通り「つぶやき」になるが、日本語版だと「語り」に近いんじゃないか。
鳥のさえずりよりも、セミのさえずりに近い……というわけで、
語りたがり屋が続々とtwitterにやってきているんではないかと予想。
でtwitterでこんなこと言ってる人発見。
>ニコ動(ニコ生)にせよ、Twitterにせよ、それは「予測できない出来事性を共有体験しやすいアーキテクチャ」、
>いいかえれば「奇跡生成アーキテクチャ」なのだ。
これはtwitterにおける批評家濱野智史氏のつぶやき。
さて、日本語版twitterのアーキテクチャは日本語の「モーラベースの表音文字+漢字という表意文字」
という言語特性を見越した上での140文字制限だったのか。
これは気になるところだ。
もし2バイト文字で70文字制限だったとしたら……あるいは200文字だったとしたら……
ここら辺、日本語の特性に照らし合わせてアーキテクチャを最適化する数理的な式はないものだろうか、
とも思う。
もっとも、twitterを「語り」ツールと見る人のつぶやきを追うと、生活の臭いがほとんどしない。
逆に語らない人は生活の臭いに溢れている、そんな傾向があるように感じた。
別に生活の臭いに価値があるわけじゃないが、その人の人間性は何を語らないかで見えてくるものもあると思ったりしてしまう。
いや、やはり「リアルっぽいつぶやき」を導入するのは厄介だということかもしれない。
まあ2週間やっただけの人間の感想であるわけだが。そして気になるのはbotという奴である
。自動的に文章を生成して「それらしく」つぶやくbotには興味を惹かれる。
あれが進化すると、serial experiments lainの「lain」のようなのが出来上がるかもしれない。
(玲音、れいん、lain、レインはみな違うという懐かしいネタ)
攻殻機動隊に出てくる「人形使い」は当分先になりそうだが。
昔はネットというと「匿名性」を中心に色々語られてきた気がするが、
ブログにSNSにニコニコ動画、twitterと、Auther性(?)というものがゼロ年代後半の中心になったとも言えるかもしれない。
完全に匿名でも実名でもない、Autherとかうp主と呼ばれる存在。
2ちゃんねるには昔の様なパワーはないな、と思う今日この頃である。
さて、twitterに毒されたのか、こういうまとまりのない記事になってしまうのだが、
ここで(唐突に)東方のネタである。
このブログは東方ネタ縛りでやっているので、基本全ての記事で東方に触れねばならないのである。
twitterといえば我らが博麗神主の玉音を拝聴できることで有名。
でもあの人に限らず、有名人のつぶやきは「公」を意識した発言が多い。
神主にしてからが、コンプティークのコラム告知を、公式サイトでもブログでもやらずにtwitter限定で告知。
でもtwitterって同時性はいいけどまとめて読むには向かない媒体なんだよなあ。
ZUN名義と上海アリス幻樂団名義の使い分け……と言ってしまえば聞こえは良いのだが、
実態としては上海アリス幻樂団公式サイトは死んでいるも同然なわけで。
そこでZUN名義と上海アリス幻樂団名義の差を考えてみよう。
紅魔郷以来、「上海アリス幻樂団」という名の存在意義は年を追うごとにどんどん薄れていると感じるわけだが、ある意味当然と言える。
先入観なしに「上海アリス幻樂団」と聴けば、「中国人の歌手グループか何か」と思うだろうし、
ゲーム製作サークルとわかれば「少なくともゲームの舞台は上海なんだろう」と思うだろう。
(あるいは麻雀牌を使ったパズルゲーム「上海」に関連したゲームを作ってると推測するか)
そしてシューティングゲームのサークルと知れば、まさか日本限定のゲームをつくり、
製作物において過去に「上海」がただの一度も登場していない、などとは夢にも思わないはずだ。
「え? 上海アリスって名乗ってるけど、上海と何の関係があるんですか?」というツッコミが入るのは必然だ。
多分中国人13億人全員から総ツッコミが入る。
じゃ、なんで「上海」という看板が掲げられているのか。
東方Projectにおける「上海」の意味とは、フランス租界のイメージ、
もっというとこれは藤木稟の「上海幻夜」のイメージであると断言して間違いないと思うが、
そこに描かれる上海とは実はこんなイメージである。
「この上海に夢を求めて来た人達の多くは、過酷な労働に耐えられず、阿片中毒になってしまう。
それを阻止しようと戦った同胞達は何人も殺されてしまった……。ここでは、人の命の重さは紙切れ以下だ」(『上海幻夜』p54 以下同じ)
この上海幻夜がなければ現東方Projectは存在しなかったと言っても間違いない。
橙(チェン。本名は貞美鈴)や白蓮といったキャラの登場(というか白蓮は主人公朱雀十五の中国名)、
レミリアとフランドールを彷彿とさせる金夢魚と富貴鶏の姉妹、
そして藍の(そして紫の)ほぼ確定的な元ネタであり「陀吉尼の紡ぐ糸」とつながる神隠しの狐、
ここら辺は読んだ事のある読者なら言わずもがな。
「私も絶対改宗しない。白蓮教は私の血肉なの。生まれる子供の名前は白蓮よ!」(p68)
橙の人間らしい雰囲気は、娼館で一生を終えるものと諦めていないからだ。
彼女にはそれなりの夢がある。でも、靴の色なんかで呼ばれる事に抵抗を感じないんだろうか。(p278-279)
「ねえ、知ってたかしら? 姐さまが阿片中毒になったのは、
足の痛みを和らげる注射のせいじゃないの。あの嫌らしい男が姐さまの性器にたっぷり阿片を塗って、
姐さまの身体を弄んだからよ」
(中略)
富貴鶏はじっと姉の瞳を覗き込んだ。
「そうよ、わたし達は双子ですもの。姐さまにも分かっていた筈よ。どちらかが先に犠牲になる運命だったのよ……。
そうじゃなきゃ、わたし達は共倒れだったわ。」(p240)
「それから僕も研究してみたんだ。神隠しの事件は、昔の伝承だけではなく、現代でも意外と多いんだよ。
明治十七年には高知で松尾丑吉という五歳の子どもが、神隠しにあったことが新聞にも報道された記録がある。
基本的に神隠しというのは霊的な存在によって異界に連れ去られることを言うんだ。君達は霊界の存在を信じるかい?」(p194)
とまあ、上は宦官から下は阿片商人まであまりに過酷な上海租界のエピソードがオムニバス風に語られる中に、
思わずにやりと笑える東方Projectの元ネタがあちこちにあるのだが、
これに影響を受けた上海アリス幻樂団の作品自体にはさっぱり「上海」が登場しない。
もはや、麻雀牌を使ったパズルゲームの「上海」以上に、上海とは無縁のサークルである。
むしろ信州秋葉原アリス幻樂団と改名した方が良いような気もする。
となるとZUN名義が非常に多いのは、そこら辺に理由があるような気もするのだが、それはわからない。
しかし、さすがに7年近くやってるんだし、そろそろ上海を舞台にしたゲームも作ってみたらどうか、という気はするのだ。
そう、これが本日の結論。そろそろ上海アリス幻樂団が作った上海を舞台にしたSTGが見てみたい、というものである。
主人公が竹葉清酒を飲みつつ迫り来る上海蟹を酔っ払い蟹にして食べまくるSTGとか。
まあ、あのタイトーにしてからが、看板と内容が乖離しちゃった会社だから、
少なくともタイトーの熱狂的なファンであろうZUN氏がそれにならって「上海」の看板を下げないのもうなづける。
知ってる人は言わずもがなだが、あの「タイトー」とは「極東ユダヤ人」という意味である。
その名の通り、タイトーとは「極東ユダヤ人貿易会社」だった。
いまやスクウェア・エニックスの傘下になってしまったタイトーだが、あれは河豚計画の夢の跡なのである。
大連の特務機関で「河豚計画」を準備していた安江仙江に出会ったミヒャエル・コーガンが、
日本にやってきて米川正夫の元でドストエフスキーの翻訳を手伝いつつ勉強し、
その後個人経営の輸入会社「太東洋行」を作ったのがタイトーの始まりなのだ。
「河豚計画」の方は日独伊三国軍事同盟が結ばれた翌日、
当時陸軍大臣だった東條英機が安江仙江から特務機関長職を剥奪することで、
すがすがしいほど見事にぶっ潰されるわけであるが、
もしかすると「タイトー」は河豚計画の唯一の成果かもしれない。
ここら辺、大塚英志の『木島日記』あたりが思い浮かぶが、
そういえば同シリーズの『八雲百怪』は世界観が東方Projectにそっくりである。
荒俣宏の影響を受けざるをえなかった藤木稟や大塚英志という関係は比較すると面白いかもしれない。
やはり荒俣宏がサブカルチャーに与えた影響力は甚大である。
そして、東方Projectの裏舞台の近代史的なつながりは、これはこれで面白い。
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