2010/01/03
(前回からの続き)
さて、午前中に霜降宮というなんだか美味しそうな名前の神社に参拝すると、次に向かうは北の岩岳の集落にある霧の神社。
しかし、その前に集落の中央にあるバス亭脇の足湯(無料)に入る。
霜降宮の雪のなかをズボズボと歩き回ったせいでジーンズとスニーカーがガチガチに凍りつき、
とても雪の中を長距離歩ける状態ではなかった。
もっとも、面白いことに水分は雪が吸ってくれるので、スニーカーがびしょ濡れになるようなことはない。
だから足が凍傷になるようなことはないのだが、ジーンズの先が凍って干物のように固まっており、それが気持ち悪いのである。
どうですか、この足湯。これが無料。そして誰もいないため私がひたすら独占である。↓

足湯で一息ついた後、古来より運送の道である「塩の道」を北上する。
武田信玄に上杉謙信が塩を送ったルートもこれらしい。
(↓こちらは霧の神社脇の解説板)

道の途中でものすごく長い氷柱を発見する。
チルノが花映塚でぶっ放す氷柱もこのくらいでかいのだろうか、
いやむしろ、ジョジョ三部でペットショップが撃つ氷のミサイルか……としばし氷柱に見とれる。
どう見ても2mはありそうだ。↓

いくら塩の道とはいってもこの季節、360度一面雪山である。道を徒歩で歩くのももちろん私ただ一人だ。
途中、大きな橋から郷を見下ろす。
↓

途中で塩の道温泉に入り、ガチガチに凍った足を温めると、再び出発。
なんでこんなに温泉ばっかり入っているかというと、
雪の中ジーンズとスニーカーで歩く&参拝客のいない神社でお賽銭箱まで雪の中泳ぐ
→靴とジーンズが凍る
→温泉に入って足を温め靴下替える
→雪の中歩く(以下繰り返し)
というわけで、道の途中に温泉がないとこの旅は即リタイアになってしまうのである。
北の集落につくと、石仏群を発見。↓

これはまさに塞の神だ。

思わぬ東方の元ネタに出会ったような気分。
といっても、仏様たちは雪に埋もれてしまいご尊顔を拝することもままならない。
傘を被せるというレベルじゃありません。
さて、石仏群を抜けると、いよいよ霧の神社、霧降宮切久保諏訪神社だ。

雨降宮、霧降宮にも劣らぬ立派神社で、こちらは9月15日に行われる七道祭り(尾花祭り)
というお祭りが有名で少女達が尾花踊りという踊りを披露したり、
社宝の七道の面が公開されるなどの祭典が行われるという。
またこの地には被った面が顔から離れず、洞窟に逃げ棲むようになった女性の昔話、
「おかる伝説」が残っており、お面とつながりが多い土地のようである。
さて、ここでおやっと思ったら中々の東方ファンである。
キャラ☆メル3号の風神録インタビューで、9月15日にお祭りがある神社の話が出てくる。
もっとも、こちらは霧降宮だから、雨降宮の方も9月15日にお祭りがあるのだろうか、
ちょっと気になるところである。
この霧降宮の杜を見上げる。こういう立派な杜があると、神社っていいなあと思うのである。
社より杜が重要だ。

さて、これまでの経験から予想していたが、こちらの神社ももちろん境内は雪の海だ。
しかもこちらは脇道もなさそうである。

思案に暮れていると、右の民家と境内の境に脇から上る石段を発見する。
迷っていても仕方がないので、10mばかり雪の中に突撃する。まったく酔狂も良いところだ。
雪中を漕ぎつつ石段を登り本殿に達する。

「諏訪」ではなく『諏方』になっているが、昔は「すわ」の表記は定まっていなかったらしい。
ちなみに「諏方」とは諏訪の大祝の氏でもある。
(江戸時代に大名家の「諏訪氏」と大祝家の「諏方氏」に分かれる)
振り返ると境内の雪の海が。勇んで突破してたら、今ごろ途中で力尽きマンモスのように氷漬けになっていただろう。

こちらの境内にも巨樹が。
↓

こうして雨、霜、霧の三神社を見終えた私はこの雪郷を後にし、数km下って駅に向かう。
途中、伝行山の神社にも参ろうと思ったのだが、山の上の神社に行くまでの石段が雪でまったく見えない。
↓

上の写真の左上に見える山の上の鳥居まで行くのは、さすがに無理だった。
神社の境内は今ごろ妖怪の巣窟に違いない、と思いつつ諦める。
↓その代わりに撮った伝行山下の360°パノラマ。(クリックすると表示されます)

雪国を堪能した私は、ワンマン電車に乗って諏訪へ向かう。
諏訪はどのような表情を見せるだろうか。(続く)
さて、午前中に霜降宮というなんだか美味しそうな名前の神社に参拝すると、次に向かうは北の岩岳の集落にある霧の神社。
しかし、その前に集落の中央にあるバス亭脇の足湯(無料)に入る。
霜降宮の雪のなかをズボズボと歩き回ったせいでジーンズとスニーカーがガチガチに凍りつき、
とても雪の中を長距離歩ける状態ではなかった。
もっとも、面白いことに水分は雪が吸ってくれるので、スニーカーがびしょ濡れになるようなことはない。
だから足が凍傷になるようなことはないのだが、ジーンズの先が凍って干物のように固まっており、それが気持ち悪いのである。
どうですか、この足湯。これが無料。そして誰もいないため私がひたすら独占である。↓

足湯で一息ついた後、古来より運送の道である「塩の道」を北上する。
武田信玄に上杉謙信が塩を送ったルートもこれらしい。
(↓こちらは霧の神社脇の解説板)

道の途中でものすごく長い氷柱を発見する。
チルノが花映塚でぶっ放す氷柱もこのくらいでかいのだろうか、
いやむしろ、ジョジョ三部でペットショップが撃つ氷のミサイルか……としばし氷柱に見とれる。
どう見ても2mはありそうだ。↓

いくら塩の道とはいってもこの季節、360度一面雪山である。道を徒歩で歩くのももちろん私ただ一人だ。
途中、大きな橋から郷を見下ろす。
↓

途中で塩の道温泉に入り、ガチガチに凍った足を温めると、再び出発。
なんでこんなに温泉ばっかり入っているかというと、
雪の中ジーンズとスニーカーで歩く&参拝客のいない神社でお賽銭箱まで雪の中泳ぐ
→靴とジーンズが凍る
→温泉に入って足を温め靴下替える
→雪の中歩く(以下繰り返し)
というわけで、道の途中に温泉がないとこの旅は即リタイアになってしまうのである。
北の集落につくと、石仏群を発見。↓

これはまさに塞の神だ。

思わぬ東方の元ネタに出会ったような気分。
といっても、仏様たちは雪に埋もれてしまいご尊顔を拝することもままならない。
傘を被せるというレベルじゃありません。
さて、石仏群を抜けると、いよいよ霧の神社、霧降宮切久保諏訪神社だ。

雨降宮、霧降宮にも劣らぬ立派神社で、こちらは9月15日に行われる七道祭り(尾花祭り)
というお祭りが有名で少女達が尾花踊りという踊りを披露したり、
社宝の七道の面が公開されるなどの祭典が行われるという。
またこの地には被った面が顔から離れず、洞窟に逃げ棲むようになった女性の昔話、
「おかる伝説」が残っており、お面とつながりが多い土地のようである。
さて、ここでおやっと思ったら中々の東方ファンである。
キャラ☆メル3号の風神録インタビューで、9月15日にお祭りがある神社の話が出てくる。
もっとも、こちらは霧降宮だから、雨降宮の方も9月15日にお祭りがあるのだろうか、
ちょっと気になるところである。
この霧降宮の杜を見上げる。こういう立派な杜があると、神社っていいなあと思うのである。
社より杜が重要だ。

さて、これまでの経験から予想していたが、こちらの神社ももちろん境内は雪の海だ。
しかもこちらは脇道もなさそうである。

思案に暮れていると、右の民家と境内の境に脇から上る石段を発見する。
迷っていても仕方がないので、10mばかり雪の中に突撃する。まったく酔狂も良いところだ。
雪中を漕ぎつつ石段を登り本殿に達する。

「諏訪」ではなく『諏方』になっているが、昔は「すわ」の表記は定まっていなかったらしい。
ちなみに「諏方」とは諏訪の大祝の氏でもある。
(江戸時代に大名家の「諏訪氏」と大祝家の「諏方氏」に分かれる)
振り返ると境内の雪の海が。勇んで突破してたら、今ごろ途中で力尽きマンモスのように氷漬けになっていただろう。

こちらの境内にも巨樹が。
↓

こうして雨、霜、霧の三神社を見終えた私はこの雪郷を後にし、数km下って駅に向かう。
途中、伝行山の神社にも参ろうと思ったのだが、山の上の神社に行くまでの石段が雪でまったく見えない。
↓

上の写真の左上に見える山の上の鳥居まで行くのは、さすがに無理だった。
神社の境内は今ごろ妖怪の巣窟に違いない、と思いつつ諦める。
↓その代わりに撮った伝行山下の360°パノラマ。(クリックすると表示されます)

雪国を堪能した私は、ワンマン電車に乗って諏訪へ向かう。
諏訪はどのような表情を見せるだろうか。(続く)
- 関連記事
-
- 長野県の雪国と諏訪あたりに旅行に行ってきました。その4
- 長野県の雪国と諏訪あたりに旅行に行ってきました。その3
- 長野県の雪国と諏訪あたりに旅行に行ってきました。その2
スポンサーサイト
- | コメント:(0) | トラックバック:(0) |
- スレッド:神社めぐり | ジャンル:旅行
Comments
Leave a Comment