2012/07/31
旧八坂村探訪1 (旧八坂村探訪2)
これは2011年11月20日~22日にかけて、長野県大町市八坂を訪れた時の旅行記である。
秋も深まる11月、かねてより行きたいと思っていた八坂に行く余裕が出来た。
長野県でも北よりの場所で、西の高瀬川と東に犀川の流域に挟まれた僻地にあるのが大町市八坂で、
山村留学の発祥地(1969年開始)として知られているが、
名山と呼べるほどの山もなく、他の長野県のいわゆる「日本アルプス」に比べ観光資源に乏しい地域であるようだった。
しかし、東方ファンとしての注目点はそこではない。
この八坂、以前は長野県八坂村だったが2006年1月1日に隣接する大町市に吸収合併され、地図から消えた。
「あの喜多郎が好んで住んでいた」こと、七曲という地名があること、村の入り口にトンネルがあることなどから
某氏のブログ記事で取り上げられた村であることは確実である。
某氏の取り上げ方は、いわゆる「地図から消えた村」伝説、つまり青森県の杉沢村伝説をパロった、
ちょっと誇張表現の多い書き方かもしれないが、
「あの山奥での生活が私に与えたインスピレーションは多大な物だった」と某氏が述べている場所を、
私も体験してみようと思ったのである。
この八坂、「廃村探訪」「湧水探訪」「石仏探訪」などの知られざる名所のようで、「妖怪が登場する民話」も豊富だ。
私は期待と不安を抱きつつ、「信州でも有数の秘境中の秘境」に向かったのだった。
電車で信濃大町まで来た私は、民宿の方の運転する車に乗って八坂の中に入った。
この宿は、当時おそらく八坂唯一の民宿(そして2012年現在は会社倒産で休業中になってしまった)明日香荘である。
八坂は、高低差の激しい峡谷の地だった。

等高線つきの国土地理院の地図を持っていたとはいえ、実際に来てみないと、景色というのはわからないものだ。
午後になってしまったが、探訪する時間はあると見て私はさっそく探訪先に向かった。山である。
この旧八坂には、大姥山(おおうばやま)という妖怪伝説のある山がある。
大姥と呼ばれる、山姥(やまんば)が山に住んでおり、
長野県安曇野の有明山に住む八面大王と恋仲になって金太郎を産んだというのだ。
金太郎は神奈川県の足柄山の伝説が有名だが、もちろん各地に伝説が残っている。
八面大王も「魏石鬼八面大王」として知られる謎の怪人であり、
八坂の秘境テイストに磨きをかけている。
八坂の中央を通る金熊川沿いを歩くと、狭い田畑の間を小さな吊り橋がかかっている。
ここは蕎麦が名物である他、黍などを特産品にしている。山村ゆえの地味の乏しさが却って趣き深い。

私は基本的に徒歩で散策するので、布川峠を目指し林道を上る。
途中、林道の向こうに灰色の獣をみつける。
カモシカか、まさかクマじゃないだろうな、などと思いながら対峙すると、獣はしばらく私を睨みつけてからさっと消えた。

しばらく歩くと、案の定クマ注意の看板が。
布川峠のちょうど上、県道469号から北の尾根沿いに大姥山の登山口がある。

その尾根を伝って、落ち葉を踏んで行くと大きな巌の上に小さな秋葉社がある。
ここは巌の西の山道が切り立った崖になっており、なかなかスリリングである。

そのまま軽快に進んだが、時間的にやや厳しいこともあり頂上は明日に回して山腹にある「山姥ノ滝」を目指すことにした。
途中、山道がいくつにも分岐し、廃村に紛れ込んで迷う。
噂には聞いていたが、八坂には廃村(廃棄された集落)が沢山あり、
大姥山にも朽ちた家屋が点在していて、実に雰囲気たっぷりである。

そして山姥ノ滝。沢に入るとさっと視界が開け、実に爽快な滝だ。滝の向こうから天狗が出てきてもおかしくはない。

この後日暮れ前に宿へ戻るために大急ぎで林道を上るが、ここで道を間違えてまたもや廃村に迷い込んでしまう。
国土地理院の地図を見てどう迷ったのかわかったものの、峠の東に位置するため日没まで時間がなく、戻る余裕はなかった。
↓迷い込んだ廃村付近から見た風景。(パノラマ)

日が暮れれば真っ暗になってしまうが、廃村で一夜を明かすことはちょっと御免である。
そこで県道へ戻るために90m近い斜面を登ることを決断し、腐葉土の足を取られながら必死に上った。
結局、日没までに宿に戻ることは出来ず、山村の夜の暗さも堪能したのであった。
温泉も気持ち良くて、私はこの八坂をすっかり気に入ってしまった。
(探訪記はその2へ続く)
これは2011年11月20日~22日にかけて、長野県大町市八坂を訪れた時の旅行記である。
秋も深まる11月、かねてより行きたいと思っていた八坂に行く余裕が出来た。
長野県でも北よりの場所で、西の高瀬川と東に犀川の流域に挟まれた僻地にあるのが大町市八坂で、
山村留学の発祥地(1969年開始)として知られているが、
名山と呼べるほどの山もなく、他の長野県のいわゆる「日本アルプス」に比べ観光資源に乏しい地域であるようだった。
しかし、東方ファンとしての注目点はそこではない。
この八坂、以前は長野県八坂村だったが2006年1月1日に隣接する大町市に吸収合併され、地図から消えた。
「あの喜多郎が好んで住んでいた」こと、七曲という地名があること、村の入り口にトンネルがあることなどから
某氏のブログ記事で取り上げられた村であることは確実である。
某氏の取り上げ方は、いわゆる「地図から消えた村」伝説、つまり青森県の杉沢村伝説をパロった、
ちょっと誇張表現の多い書き方かもしれないが、
「あの山奥での生活が私に与えたインスピレーションは多大な物だった」と某氏が述べている場所を、
私も体験してみようと思ったのである。
この八坂、「廃村探訪」「湧水探訪」「石仏探訪」などの知られざる名所のようで、「妖怪が登場する民話」も豊富だ。
私は期待と不安を抱きつつ、「信州でも有数の秘境中の秘境」に向かったのだった。
電車で信濃大町まで来た私は、民宿の方の運転する車に乗って八坂の中に入った。
この宿は、当時おそらく八坂唯一の民宿(そして2012年現在は会社倒産で休業中になってしまった)明日香荘である。
八坂は、高低差の激しい峡谷の地だった。

等高線つきの国土地理院の地図を持っていたとはいえ、実際に来てみないと、景色というのはわからないものだ。
午後になってしまったが、探訪する時間はあると見て私はさっそく探訪先に向かった。山である。
この旧八坂には、大姥山(おおうばやま)という妖怪伝説のある山がある。
大姥と呼ばれる、山姥(やまんば)が山に住んでおり、
長野県安曇野の有明山に住む八面大王と恋仲になって金太郎を産んだというのだ。
金太郎は神奈川県の足柄山の伝説が有名だが、もちろん各地に伝説が残っている。
八面大王も「魏石鬼八面大王」として知られる謎の怪人であり、
八坂の秘境テイストに磨きをかけている。
八坂の中央を通る金熊川沿いを歩くと、狭い田畑の間を小さな吊り橋がかかっている。
ここは蕎麦が名物である他、黍などを特産品にしている。山村ゆえの地味の乏しさが却って趣き深い。

私は基本的に徒歩で散策するので、布川峠を目指し林道を上る。
途中、林道の向こうに灰色の獣をみつける。
カモシカか、まさかクマじゃないだろうな、などと思いながら対峙すると、獣はしばらく私を睨みつけてからさっと消えた。

しばらく歩くと、案の定クマ注意の看板が。
布川峠のちょうど上、県道469号から北の尾根沿いに大姥山の登山口がある。

その尾根を伝って、落ち葉を踏んで行くと大きな巌の上に小さな秋葉社がある。
ここは巌の西の山道が切り立った崖になっており、なかなかスリリングである。

そのまま軽快に進んだが、時間的にやや厳しいこともあり頂上は明日に回して山腹にある「山姥ノ滝」を目指すことにした。
途中、山道がいくつにも分岐し、廃村に紛れ込んで迷う。
噂には聞いていたが、八坂には廃村(廃棄された集落)が沢山あり、
大姥山にも朽ちた家屋が点在していて、実に雰囲気たっぷりである。

そして山姥ノ滝。沢に入るとさっと視界が開け、実に爽快な滝だ。滝の向こうから天狗が出てきてもおかしくはない。

この後日暮れ前に宿へ戻るために大急ぎで林道を上るが、ここで道を間違えてまたもや廃村に迷い込んでしまう。
国土地理院の地図を見てどう迷ったのかわかったものの、峠の東に位置するため日没まで時間がなく、戻る余裕はなかった。
↓迷い込んだ廃村付近から見た風景。(パノラマ)

日が暮れれば真っ暗になってしまうが、廃村で一夜を明かすことはちょっと御免である。
そこで県道へ戻るために90m近い斜面を登ることを決断し、腐葉土の足を取られながら必死に上った。
結局、日没までに宿に戻ることは出来ず、山村の夜の暗さも堪能したのであった。
温泉も気持ち良くて、私はこの八坂をすっかり気に入ってしまった。
(探訪記はその2へ続く)
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